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    <title>おっちゃんの「感想・鑑賞録」</title>
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    <title>『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』 村上 春樹</title>
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    <published>2010-09-08T04:46:08Z</published>
    <updated>2010-09-08T07:08:24Z</updated>

    <summary>時の歌を聴け。村上春樹の本をはじめて読んだ。正しく言うと、はじめて読みとおした。...</summary>
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        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>時の歌を聴け。</strong><br /><br />村上春樹の本をはじめて読んだ。<br />正しく言うと、はじめて読みとおした。<br />しかも、読む動機は、<br />『村上春樹』ではなく、『ウイスキー』と言うテーマにある。<br />村上春樹の愛読者には、<br />それは村上春樹に対する冒涜である、と叱られるかも知れないが。</p>]]>
        <![CDATA[<p>でも、『村上春樹』の文章と『ウイスキー』は、よく合いますね。<br />香り高いウイスキーを味わうように、<br />シングル・モルト・ウイスキーの聖地・アイラ島とアイルランドを訪ねる旅日記を読みました。</p>
<p>アイラ島のシングル・モルトのほとんどは、<br />『ジョニー・ウオーカー』『カティーサーク』『ホワイト・ホース』など有名なブランドとして、<br />ブレンディッド・ウイスキーになる。</p>
<p>アイラ島の人は、当然、シングル・モルトを楽しむ。<br />ブレンディッド・ウイスキーは飲まないのか、と春樹が、土地の人に聞くと、<br />　　　　　相手はいささかあきれた顔をした。<br />　　　　　たとえて言うなら、結婚前の妹の容貌と人格について、<br />　　　　　遠まわしなけちをつけられたような顔をした。<br />そして、きっぱりと、と飲まないと言った。<br />その理由は言うまでもない。<br />　　　　　「天使が空から降りてきて美しい音楽を奏でようとしているときに、<br />　　　　　テレビの再放送番組をつけるようなものじゃないか。」</p>
<p>アイラ島には、七つの蒸留所がある。<br />春樹は、小さなパブのカウンターに七種のシングル・モルト・ウイスキーを<br />「癖の強い」順に並べ、テイスティングにかかる。<br />　　　　　気持ちよく晴れた六月のある日の、午後の一時に。<br />この一節、たまらなくいいですね。</p>
<p>最初のアードベッグは、「いかにも土臭く、荒々しく」<br />真ん中のボウモアになると、「ほどよくバランスがとれて」<br />でも、七つのモルトのすべてに「アイラ臭さ」の刻印はある。</p>
<p>ボウモア蒸留所のマネージャーのジムは言う。<br />ジムは、樽職人として、スタートした。<br />　　　　　「アイラでは樽が呼吸をするんだ。<br />　　　　　倉庫は海辺にあるから、雨期には樽はどんどん潮風を吸い込んでいく。<br />　　　　　そして乾期（六、七、八月）になると、<br />　　　　　今度はウイスキーがそいつを内側からぐいぐいと押し返す。<br />　　　　　その繰り返しの中で、アイラ独特の自然なアロマが生まれていく。」<br />樽を仲介者に、潮風とウイスキーが戦っているのか、<br />あるいは、なごやかに会話を弾ませているのか、<br />その駆け引きは見えないけれど、人は、ただ時の仕業に身をゆだねるしかない。</p>
<p>ジムは、また、春樹に語りかける。<br />　　　　　「僕は今こうして作っているウイスキーが世の中に出て行くとき、<br />　　　　　あるいは僕はもうこの世にいないかもしれない。しかしそれは僕が造ったものなんだ。<br />　　　　　そういうのって素敵なことだと思わないか？」<br />人は、ただ時を信じて、仕込み、ひたすら、待つ。</p>
<p>ウイスキーづくりは、人を自然の一部にさせる。</p>
<p>&nbsp;</p>
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    <title>「馬」 飴屋法水たち</title>
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    <published>2010-09-06T02:31:10Z</published>
    <updated>2010-09-06T02:54:06Z</updated>

    <summary>脳の中の「馬」閉館日の原美術館を使ったイベント「BLANK MUSEUM」に行っ...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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        <category term="03-演劇" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<img class="right_img01" height="82" alt="筆者：いぬ" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_inu.gif" 　width="120" /><strong>脳の中の「馬」</strong><br /><br />閉館日の原美術館を使ったイベント「BLANK MUSEUM」に行ってきた。]]>
        <![CDATA[<p>芝生で覆われた、気持ちのいい中庭の全面と、館内のいくつかの部屋を使って、<br />ダンスや音楽など多様なジャンルの人達が、それぞれのパフォーマンスをみせる。<br />僕のめあては、「飴屋法水たち」。<br />彼らの演目は、日が暮れたあと、18:30ごろに始まった。</p>
<p>芝生の上にテーブルを置き、そこで男が食事をとっているシーンからはじまる。<br />別の男が脇から出てきて言う。<br />　　　「芝生が、燃えます<br />　　　　机が、燃えます<br />　　　　テーブルが、燃えます<br />　　　　家が、燃えます」<br />（※記憶に基づいているので、正確ではありません）</p>
<p>燃えたものしか、憶えていない。<br />なくなってはじめて、記憶に残る。<br />そんな趣旨の話をする。</p>
<p>その後の展開は、正直言って難解だ。<br />後でいろいろ調べたが、小島信夫の短編『馬』から引用したテクストを、<br />何人かが交互に読む形でパフォーマンスが続く。<br />『馬』は、簡単にいうと、身勝手な妻に言いくるめられ、<br />勝手に家の増築をさせられ、最後にはそこに馬を住まわせるハメになる男の話だ。<br />かなり不条理なストーリー。<br />これを飴屋は「記憶」というキーワードで切り取ってみせる。<br />語る主体をくるくると変えながら、芝生の庭の向こう側から、<br />あるいは建物の屋上から、男に向かって浴びせかけられる、妻の懐柔と脅しの言葉。<br />後ろから前から、ランダムに聞こえてくる言葉たち。僕はまるで男の脳の中にいるようだ。<br />やがて、誰が、何を、いつしゃべっているのかは判然としなくなる。<br />もしかしたら、人の頭の中で、情報はこのようにぐちゃぐちゃに重なっているのかもしれない。</p>
<p>今見えている風景、聞こえている音が、男の脳の中だとすれば、<br />「燃える」ことは、「記憶を再生する」ことだろうか。<br />神経細胞は、情報を伝達するときに「燃える」のだったろうか。<br />「燃える」ことで、ぐちゃぐちゃの脳の中で、<br />ある情報に焦点が集まり、その瞬間、記憶が再構成されるのだろうか。<br />つまり記憶は、その時その場で常に新しく生み出され続けるのだろう。<br />そんなことを考えた。</p>
<p>脳の中にも海馬という「馬」があって、その馬は、記憶を司っているらしい。<br />これも劇中で誰かが言っていたことだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div class="box01">
<p>紹介演劇データ</p>
<div class="box02">
<ul>
<li>タイトル：「馬」</li>
<li>劇団：飴屋法水たち</li>
<li>構成・演出：飴屋法水</li>
<li>公演日：2010年8月</li>
<li>劇場：原美術館（品川）</li>
<ul></ul></ul></div></div>]]>
    </content>
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    <title>『シズコさん』 佐野 洋子</title>
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    <published>2010-09-01T04:47:23Z</published>
    <updated>2010-09-01T06:31:54Z</updated>

    <summary>「ワタシ ハ ダレデスカ」『シズコさん』は、佐野洋子さんのお母さん。佐野さんは、...</summary>
    <author>
        <name>admin</name>
        
    </author>
    
        <category term="01-書籍" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>「ワタシ ハ ダレデスカ」</strong><br /><br />『シズコさん』は、佐野洋子さんのお母さん。<br />佐野さんは、しばらくいっしょに暮らしたあと、<br />痴呆症になったシズコさんを、高級老人ホームに入れた。</p>]]>
        <![CDATA[<p>佐野さんは言う。<br />　　　　　私は母を金で捨てたとはっきり認識した。<br />　　　　　愛の代わりを金で払ったのだ。<br />でも、生前、ホームから帰る時、<br />　　　　　私はいつも落ち込んだ。姥捨て山を見学に行ったような気分になった。</p>
<p>なぜ、佐野さんはシズコさんを捨てたのか。<br />それは、ずっと、お母さんが嫌いだったから（あるいは、そう思っていたから）。<br />しかも、その嫌いな理由は。<br />　　　　　私は母を母としてではなく、人として嫌いだった。</p>
<p>救われないね、わたしも、そうだった。<br />母が嫌いだった。人間として嫌いだった。<br />母が嫌いなんて、人間として最大の不幸だと思っていた。<br />誰にも言えないことだと思っていた。<br />だから、わたしほどの「嘘つき」はいない、とも。</p>
<p>佐野さんは、なぜ、お母さんが嫌いだったのか。<br />　　　　　四歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、<br />　　　　　チッと舌打ちしてわたしの手をふりはらった。<br />　　　　　わたしは、その時、二度と手をつながないと決意した。<br />　　　　　その時から私と母さんのきつい関係が始まった。<br />さらに、お母さんは、見栄っ張りの嘘つきだった。<br />学歴を詐称した。私立の女学校を卒業したのに、府立第二だといった。<br />住所も、牛込柳町なのに、いつしか麹町になった。</p>
<p>お母さんは、薄情だった。<br />お母さんには、障害者の二人の兄弟がいた。<br />その面倒を、妹夫婦（佐野さんにとっては叔母）に任せていた。<br />なのに、たまに叔母さんの家を訪ねたときも、<br />　　　　　夕食の時、家中が茶の間に集まる。すると母が叔母に<br />　　　　　「ねえこの人達どこかやって。もうごはんがまずくなる」と云った。<br />「この人達」とは、「知恵遅れの兄弟」のこと。ひどすぎる。<br />だから、佐野さんは、母さんを老人ホームに捨てた。</p>
<p>老人ホームでお母さんの痴呆が進む。<br />　　　　　母さんはすっかり、従順で優しい老女になってしまった。<br />その痴呆が、ふたりの関係を変える。<br />いつしか、佐野さんは、お母さんの布団に添い寝をするようになった。<br />からだにも触れるようになった。<br />　　　　　うすべったくなった手は骨に皮がひっついて、<br />　　　　　さすると皮が自由自在に移動するが、移動する皮というより<br />　　　　　しわが自在にどこへでも行く。<br />佐野さんは、終戦の時、大連にいた。その時の記憶もよみがえる。<br />　　　　　兄も弟も赤ん坊も、死んだタダシも皆んな母さんのふとんに入りたがった。<br />　　　　　ふとんの足もとから母さんの股の中に入ったのはだれだっただろう。<br />　　　　　あの頃の母さんは本当にふつうの母さんらしい母さんだった。<br />そして、佐野さんは、痴呆の母さんと会話も楽しめるようになる。<br />　　　　　「母さん私はもう六十だよ、おばあさんになっちゃたんだよ」<br />　　　　　「マアかわいそうに、誰がしてしまったのかねェ」</p>
<p>母さんもふつうの母さんであり、<br />ふつう以上にいいところのあった女性でもあった。<br />その母さんを、こんなに嫌った理由は、<br />　　　　　家族とは、非常な集団である。<br />　　　　　他人を家族のように知りすぎたら、友人も知人も消滅するだろう。</p>
<p>でも、おお、うるわしい家族愛の大円団か、と気を許してはいけない。<br />佐野さんは、お母さんに寄り添えるようになると、自分を突き放す。<br />　　　　　ああ、世の中にないものはない。<br />　　　　　ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。<br />　　　　　少しずつ狂人の人が、ふつうなのだ。<br />　　　　　私は、自分が母親に対して気がふれているという事を、<br />　　　　　自分で始末できなかったのだ。ずーっと、ずーっと。</p>
<p>わたしは、自分のことを思う。<br />親は、子どもを持って親になっていくが、<br />子どもは、親を亡くしてから子どもになっていく。<br />親の束縛や義務がなくなってから、安心して親のことを考えるのだ。<br />それまでは、親のことなど考えていない。<br />自分のことで精いっぱいだ。</p>
<p>だから、佐野さんの言葉が重い。<br />　　　　　私も自分がどういう人か、わからない、多分一生わからない。<br />　　　　　誰もわからない。</p>
<p>&nbsp;</p>
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    <title>『人間の建設』 小林 秀雄 / 岡 潔</title>
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    <published>2010-08-25T01:16:36Z</published>
    <updated>2010-08-25T01:20:53Z</updated>

    <summary>見ていれば、自然と見えてくるもの。むかしは、理解できない一行に遭遇するだけで、も...</summary>
    <author>
        <name>admin</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>見ていれば、自然と見えてくるもの。</strong><br /><br />むかしは、理解できない一行に遭遇するだけで、もう、読むのを諦めた。<br />近ごろは、難しい本でも、最後まで読み通せるようになった。<br />年とともに読解力がついたわけではない。<br />わからないままに読むことが平気になっただけだ。</p>]]>
        <![CDATA[<p>わからないまま読んでいれば、いつかは、ハッとする文章に出会う。<br />共感する。<br />その共感は、著者の意図と大きくそれていても、気にしない。<br />これも、老人の鈍感力の賜物だ。</p>
<p>『人間の建設』、まさしく、昔ならば出だしの3行でギブアップしていた本。<br />しかし、読み通した。<br />何ページかに一箇所、気にかかる文言が出てくるからだ。</p>
<p>岡 潔さんは、数学も最後は情緒、と言う。<br />数学の体系に、知的に矛盾がないことを証明するだけでは足りない、<br />数学者の感情的同意を得なければならない、と岡さん。<br />わからないけど、引用しておきます。<br />　　　　　じっさい考えてみれば、矛盾がないというのは感情の満足ですね。<br />　　　　　人には知情意と感覚がありますけれども、感覚はしばらく省いておいて、<br />　　　　　心が納得するためには、情が承知しなければなりませんね。<br />　　　　　だから、その意味で、知とか意とかがどう主張したって、その主張に折れたって、<br />　　　　　情が同調しなかったら、人はほんとうにそうだとは思えませんね。<br />同意は、知性だけでは意味がない。<br />　　　　　　感情が納得してくれなければだめなんで、知性が説得しても無力なんです。<br />ところが、いまの数学は、<br />「知性を説得すること」に止まっているから駄目だという。</p>
<p>同じく、「時も情緒」らしい。<br />　　　　　時には未来というものがある。その未来には、希望をもつこともできる。<br />　　　　　しかし不安も感じざるを得ない。まことに不思議なものである。<br />　　　　　そういう未来が、これも不思議ですが、突如として現在に変わる。<br />　　　　　現在に変わり、さらに記憶に変わって過去になる。その記憶も遠ざかっていく。<br />　　　　　これが時ですね。<br />　　　　　時というものがあるから、生きると言う言葉の内容を説明することができるのですが、<br />　　　　　時と言うものなかったら、生きるとはどういうことか、説明できません。<br />　　　　　そういう不思議なものが時ですね。<br />　　　　　時と言うものがなぜあるのか、どこからくるのか、ということは、<br />　　　　　まことに不思議ですが、しいて分類すれば、時間は情緒に近いのです。<br />数学も情緒、時も情緒。<br />世界は、情緒でできているのか。</p>
<p>わからぬまま読み進める読者を見越して、<br />最後の方で、小林秀雄が救いの手を差し伸べる。<br />論語を素読し、丸暗記だけするのは、無意味だという批判に答えて、<br />　　　　　「論語」の意味はなんでしょう。<br />　　　　　それは人により年齢により、さまざまな意味にとれるものでしょう。<br />　　　　　一生かかったってわからない意味さえ含んでいるかも知れない。<br />　　　　　それなら意味を教えることは、実に曖昧な教育だとわかるでしょう。<br />　　　　　丸暗記させる教育だけが、はっきりした教育です。<br />だから、素読教育以外に教育方法はない。<br />　　　　　古典はみんな動かせない「すがた」です。<br />　　　　　その「すがた」に親しませるという大事なことを素読教育が果たしたと考えればよい。<br />　　　　　「すがた」には親しませるということが出来るだけで、<br />　　　　　「すがた」を理解させることは出来ない。</p>
<p>「すがた」って、なんやろ?<br />わからないから、だけではない。<br />何か魅力を感じる。<br />気にかかる。<br />だから、さあっと、頭の引き出しに仕舞い込まないで、<br />しばらく掌の上で見つめる、考える。<br />きっと、それがいいのだ、ということにしておこう。</p>
<p>&nbsp;</p>
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    <title>『ウイスキー 起源への旅』 三鍋 昌春</title>
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    <published>2010-08-18T00:57:54Z</published>
    <updated>2010-08-19T03:17:24Z</updated>

    <summary>「命の水」は、ウイスキーで「永遠の命」になった。出会いは、運命である。自分の思い...</summary>
    <author>
        <name>admin</name>
        
    </author>
    
        <category term="01-書籍" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>「命の水」は、ウイスキーで「永遠の命」になった。</strong><br /><br />出会いは、運命である。<br />自分の思いを越えたところにある、とも言えるが、<br />その運命は、自分が呼び込んだものとも言える。<br />なぜなら、自分が深く関心を持たなければ、<br />通りすがりの人のように過去にもならず消えていくだけの出会いだったのだから。</p>]]>
        <![CDATA[<p>著者は、ウイスキーと三度、運命的な出会いをする。<br />一度目は、著者は、大学4年のとき。<br />　　　　　たまたま噛みしめるように口の中でころがしてみた。<br />　　　　　その瞬間、今まで感じたことがなかった甘味を感じたのである。<br />　　　　　甘味をたどっていくと次にでてきたのはアーモンドチョコのような味わい、<br />　　　　　それを感じるまもなくパッションフルーツのような、そして生クリームのような味わい。<br />　　　　　次に、香ばしい麦のような香りや味わいが湧き出してきた。<br />著者は、初めて『アクワイアード・テイスト（Acquired taste）』を経験した。<br />　　　　　「おいしいと感じるまでに経験が必要な味わいのこと」だ。<br />　　　　　経験の蓄積がある程度まで達しないとおいしさを感じない、<br />　　　　　言ってみれば「大人の味」である。<br />それが、一九八〇年、サントリーに入社につながる。<br />ウイスキー蒸留所に配属され、<br />　　　　　一九八八年、運良く会社の技術アタッシェ制度に選ばれて、<br />　　　　　翌八九年一〇月、ついに私は英国スコットランド、<br />　　　　　エディンバラの地を踏んだのだった。<br />そこで、週末は、地元の人が言うところの「パブ クローリング（Pub Crawling）」、<br />すなわち、パブ巡りを楽しむ。<br />そんなパブ巡りのある日、<br />仲間と別れて入った一軒のパブで、隣に座った老人に話しかけられる。<br />　　　　　「ところで、君はウイスキーの語源が<br />　　　　　『ウシュク・ペーハー（ゲ―ル語、ウオーター・オブ・ライフ、<br />　　　　　生命の水）』ということを知っているだろう。<br />　　　　　その『ウシュク・ペーハー』は、実はケルトの酒なのだ」<br />これが、運命の出会い二度目だ。<br />　　　　　「アングロ・サクソンやヴァイキングが来る前から<br />　　　　　この島に住んでいたのがケルト人だ。<br />　　　　　そのケルト人がウイスキーの原型を生み出したんだ」<br />ウイスキーをつくったのは、ケルト人。<br />スコットランドはウイスキーの故郷はではない、と老人は言い切った。<br />　　　　　「ウイスキーづくりは、外からこのスコットランドに伝わってきたのだ。」<br />これは、著者が知る定説と違う。<br />　　　　　蒸留法は、キリスト教と共にエジプトからアイルランドに伝わって、<br />　　　　　ビールからウイスキーが生まれた。ウイスキーの誕生は<br />　　　　　アイルランドのキリスト教化と一致している。- これは私が多くの本で目にした説である。</p>
<p>著者は、ウイスキーづくりだけでなく、<br />ウイスキー誕生の謎解きに、のめり込むことになる。<br />　　　　　ミイラの保存に使われた精油のうちのいくつかは<br />　　　　　蒸留によって得られる高濃度のアルコールによってしか作り得ない。<br />しかし、古代エジプトの歴史にはワインはあまり取り上げられない。<br />ならば、<br />　　　　　ビール王国古代エジプトのどこかに<br />　　　　　ビールを蒸留した酒であるウイスキーの痕跡がちりばめられているのではないか<br />　　　　　という想像が私をかり立てた。<br />そして、三度目の出会いに、著者は導かれることになる。<br />エジプト、ナイル川の中流ルクソールの町で。<br />カイロから六〇〇キロ南に下ったルクソール。<br />イスラム原理主義が強い地域で、キリスト教会を見つける。<br />正しくは、その宗派の一つコプト教会。<br />　　　　　教会に入った。ひんやりした堂内でろうそくが点されている。<br />　　　　　外では耳をつんざく大音量で流れているコーランの説教も<br />　　　　　微かに聞こえるだけの静寂な空間が広がっていた。<br />その中の「淡い光に浮かび上がったもの」に驚愕する。<br />　　　　　ろうそくの淡い光に浮かび上がる十字架の姿にケルトを見たからだ。<br />　　　　　三方に伸びた梁の先が鉛管で結ばれている。ケルト十字架によく似ている。<br />　　　　　いや、そのものではないか。</p>
<p>キリスト教会、コプト教会、そして、ケルト教会とつながり、<br />神にささげられる「命の水」こそ、ウイスキーの起源、と著者は推理する。<br />では、証明のための長い旅の結末は?<br />ぜひ、歴史推理ドラマとして、ご自分でお楽しみいただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
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    <title>『ルリボシカミキリの青』 福岡 伸一</title>
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    <published>2010-08-11T01:08:22Z</published>
    <updated>2010-08-11T04:56:50Z</updated>

    <summary>思想としての「動的平衡」悪役が主人公の映画を見終えたとき、悪役にも心を寄せている...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>思想としての「動的平衡」</strong><br /><br />悪役が主人公の映画を見終えたとき、悪役にも心を寄せている。<br />身近にいたら顔も見たくない人でも、<br />小説の中でなら、じっくり話に耳を傾けたくなる。<br />それが、名作を鑑賞する醍醐味だ。<br />著者の筆になると、「ウイルス」にも深い共感を覚える。</p>]]>
        <![CDATA[<p>著者は、ウイルスを「放蕩息子」と呼ぶ。<br />なぜなら、<br />　　　　　ウイルスはかって私たちのゲノムの一部だったのだ。<br />　　　　　私たちのゲノムはつねに複製されあるいは<br />　　　　　転写（DNAからRNAができること）されている。<br />　　　　　この過程でたまたまはずみで細胞外へ飛び出してしまった断片があった。<br />　　　　　それは流れ流れる旅路についた。<br />いつか、「自分が属していたもの」、<br />すなわちふるさとへの帰還を夢見て、旅路を続けた。<br />しかし、長い孤独な旅路の果てに、ほとんどのウイルスは絶えた。<br />わずかなものだけは他の細胞に付着して複製できるチャンスがあれば増え、<br />すこしずつ変化し、殻で身を守るようになった。</p>
<p>ふるさとに戻れても、すでに両親も兄弟もいない。<br />家族として迎え入れてくる人はいなかった。<br />　　　　　彼ら放蕩息子たちは、あまりにも変わり果てていたために、<br />　　　　　もはやすんなりと受け入れてもらえなかった。むしろわたしたちの免疫系は<br />　　　　　彼らをよそ者扱いして排除しようとする。彼らは必死に自らを増やし、<br />　　　　　自らをアピールする。喉の痛みや鼻水や咳は、そんな小競り合いの結果である。<br />咳は、ウイルスの泣き声なのか。<br />わたしに気付いて、と呼び掛けているのか。<br />泣く力もなく、肩のちりを払うよう追い払われたウイルス。<br />足音も立てず、静かに立ち去ったウイルス。<br />ウイルスが、いとおしくなってくる。</p>
<p>あるときは、著者は、人形浄瑠璃文楽座の桐竹勘十郎さんによる、<br />人形遣いのからくりを見せるイベントに招かれる。<br />章のタイトルは、「文楽の生物学」。<br />着物を着せないで、手足がむき出しの人形を、三人の黒子が扱う。<br />「手足はそれぞれ細い糸で、木枠と結ばれてだらりとさがっているだけ」だが、<br />「生きているように動き、生きているように止まる。」<br />次は、人形を持たずに、黒子だけで人形遣いを演じる。<br />いないはずの人形が、見事に浮かびあがる。</p>
<p>そこは、まさに「動的平衡」の世界。<br />細い糸で「たくさんのパーツが組み合わさって、<br />お互いに他を律しつつ、動きながら平衡を保っている」<br />「細胞と細胞、分子と分子」も、<br />「情報やエネルギーの流れ」という糸でつながっている。</p>
<p>その糸が切れれば、<br />　　　　　マイケルジャクソンのムーンウオークやロボット的な動きは、<br />　　　　　故意に、お互いに他を律することをやめ、パーツが独立してふるまう動きだけを<br />　　　　　強調している。そこでは生命が消え、機械が浮かび上がってくる。<br />初めてムーンウオークの魅力がわかった。<br />いのちのつながりがなくなり、<br />「強制されない」心地よさだったのか。</p>
<p>身近な話題から、いつしか「動的平衡」の世界に入り込み、<br />「動的平衡」の目で、世の中を見つめなおしている。<br />なぜ、こんなに自然に世界に入っていけるのか。<br />その理由に、何冊も読んでやっと気付いた。<br />「文体そのものが、動的平衡」だったのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
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    <title>『「監督を決める」仕事』 祖母井 秀隆</title>
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    <published>2010-08-04T01:48:01Z</published>
    <updated>2010-08-04T05:04:59Z</updated>

    <summary>応援は、人のためならず。祖母井（うばがい）さんの本を読むのは、『祖母力』に続いて...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>応援は、人のためならず。</strong><br /><br />祖母井（うばがい）さんの本を読むのは、『祖母力』に続いて2冊目。<br />祖母井さんは、ジェフ市原（現在は、市原・千葉）のGMとして、<br />彼のオシムさんを監督として招聘されて、<br />サッカーファンに名をとどろかせることになった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>先週、ゼルビアの唐井ＧＭにお願いして、<br />ジェフのスタジアムやクラブハウスを見学できるように労を取っていただいた。<br />唐井GMは、祖母井さんが、<br />グルノーブル・フット38のGMとして転身された後任として、<br />ジェフのGMに就任された方。<br />スタジアムのそこら中で、<br />敵味方の選手、フロント、記者の方につかまり、会話が弾む。<br />そんな唐井GMのお陰で、普段では覗けない裏方まで見せていただいた。</p>
<p>食堂を拝見したとき、選手の食事管理に話が及び、<br />「北村さん」という名前が出てきた。<br />始めて聞く名前だが、みんなその名前を親しみを込めて話している。<br />どうも寮長らしい。<br />その方は、この本にも登場して、人となりを知った。</p>
<p>北村さんは、ジェフが舞浜から市原に移転してから、<br />選手寮の寮官になられた方。<br />舞浜の頃は、門限は11時なのに、選手は夜遊びで、朝帰りは珍しくない。<br />生活は乱れていた。<br />それは、グランドのプレイにも直結していて、ジェフは1部降格の危機にあった。<br />しかし、北村さんは、生活の面からチームを立て直してくれた、と<br />祖母井さんは高く評価する。<br />　　　　　北村さんは、食道、食の道の人なのです。<br />　　　　　それを選手たちに話してくれるのです。<br />　　　　　彼が食にかける生き方を、選手たちに示してくれるのです。<br />北村さんは、寮に寝泊まりし、選手が体調を崩した時は、<br />献身的に看病もしてくれる。<br />「北村さんが戻ってきたから、1部に残留した」とまで言い切れるほど。<br />　　　　　ところが、悲しいことに、クラブの中で<br />　　　　　そういう人たちへの評価が低いのも事実です。<br />2003年春、オシムを監督に招聘する為に、<br />オーストリア・グラーツへの出張に、寮官の北村さんを同行させる。<br />それは、北村さんへの信頼だけでなく、<br />「クラブが、チームが強くなるというのは、選手だけでなく、<br />それをサポートしてくれている人がいるからなのです。」と、<br />クラブへの祖母井さんのメッセージだったのかもしれない。</p>
<p>唐井GMも、ジェフのクラブハウスのランドリー室で強調した。<br />「よく見ておいてくださいよ。この広いランドリー室。<br />これは、贅沢じゃないんですよ。<br />フロントの人には、なかなか理解されないのですが。」</p>
<p>サポーターの話も印象に残った。<br />祖母井さんの知り合いのスロベニア出身のブランコ・エルスナーさんが、<br />ベガルタ仙台(当時2部)の監督を務めていた時のこと。<br />チームは不振にあえいでいた。<br />そのとき、祖母井さんに、<br />「もうできない。サポーターを裏切ることはできない」と<br />悩みを打ち明けた。<br />　　　　　例えばホームで3試合負ければ、ヨーロッパでは監督が解雇されるのは当然<br />　　　　　ということになりますけれど、仙台ではサポーターの反応は静かで、<br />　　　　　むしろ監督を応援するものだったのです。<br />　　　　　そのことにカルチャーショックを受けられて、<br />　　　　　耐えられなくなり、結局辞任されたのです。</p>
<p>しかし、ヨーロッパでも、グルノーブルのサポーターは少し違う。<br />2009/10シーズンは、開幕以来11連敗を喫した。<br />監督もサポーターもナーバスになっていた。<br />ところが、ホームの次の試合のキックオフ前に、<br />　　　　　サポーターが、監督のファーストネームの入った横断幕を掲げて<br />　　　　　「メシャ- 我々は、あなたの味方！」とコメントを出したのです。<br />しかも、横断幕を広げていたサポーターは、チームの応援歌も歌いだした。<br />ところが、その歌の途中で失点してしまう。<br />もう誰も歌えなくなった。<br />　　　　　すると、周りにいた今まで歌っていなかった観客たちが<br />　　　　　歌の続きを歌い出したのです。<br />サポーターは、とどのつまりは、誰かのために歌うのではない。<br />自分のために歌い、祈るのだ。</p>
<p>ゼルビアを応援していれば、素直にわかる。</p>
<p>&nbsp;</p>
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    <title>『からだは星からできている』 佐治 晴夫</title>
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    <published>2010-07-28T05:13:01Z</published>
    <updated>2010-07-28T05:16:04Z</updated>

    <summary>太陽系家族の記念写真。ボイジャーが飛び立つとき、著者は、NASAの職員だった。...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>太陽系家族の記念写真。</strong><br /><br />ボイジャーが飛び立つとき、著者は、NASAの職員だった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>ボイジャーの旅は、一九七七年から始まった。<br />アメリカ合衆国フロリダのNASAの宇宙基地から飛び立った。<br />　　　　　太陽系・外惑星探査を目的として、ボイジャー1号、2号が<br />　　　　　未知の宇宙へと旅立っていきました。<br />　　　　　今でも目をつぶると、そのときの情景が思い出されて、<br />　　　　　何か、涙が零れ落ちそうな気持ちになります。<br />打ち上げから二年後の一九七九年には木星に接近して、<br />衛星イオに活火山があるという衝撃的な写真を送ってくる。<br />　　　　　それは、まるで、サン=テクジュベリの"星の王子さま"の星を<br />　　　　　思わせる風景でした。<br />そして、その二年後には、土星に接近した。<br />　　　　　氷の粒や小さな岩石でできている美しい輪に、<br />　　　　　謎のまだら模様「スポーク」があることを発見し、<br />　　　　　さらに、衛星タイタンには大気があり、その下には海のようなものがあって、<br />　　　　　未知の生物がいるかも知れない、という期待を抱かせるような発見もしました。<br />さらに、一九八六年には、天王星に接近。<br />　　　　　土星のような輪があることや、その衛星ミランダには、<br />　　　　　たくさんのクレーターや渓谷、絶壁などがあることを詳細に報告してきました。<br />　　　　　一九八九年には、太陽系最果ての惑星、海王星に接近しました。<br />　　　　　そして、まるで、サファイアのように青くて美しい画像が送られてきたとき、<br />　　　　　それまで固唾をのんで見守ってきたNASAの管制室が、<br />　　　　　歓声で沸き返った日のことが忘れられません。<br />その後、衛星トリトンには氷が噴出している「氷の火山」があることを発見して、<br />ボイジャーは、その使命を終える。<br />　　　　　遠ざかるボイジャーから送られてくる海王星の映像が、<br />　　　　　時々刻々と小さくなっていくのを見ながら、私たちの太陽系をあとに<br />　　　　　帰らぬ旅についたボイジャーとの別離を想い、万感胸に迫るものがありました。<br />　　　　　&lt;航海者&gt;=&lt;ボイジャー&gt;と名付けられたその探査機は、<br />　　　　　私たちの目となり、耳となり、そして足となって、たくさんの情報を集め、<br />　　　　　はるかなる宇宙へと旅立っていったのです。<br />その翌年、一九九0年二月十五日、<br />自分を生み出してくれた"お母さん"がいる地球からの呼びかけに、ボイジャーは振り返る。<br />そして、太陽系全体の"家族写真"を取ることに成功する。<br />　　　　　光の速さで走っても、四時間十五分もかかるほど遠い太陽系のさいはて、<br />　　　　　六十五億キロメートルの彼方から振り返ったのです。<br />その写真には、太陽の光に照らされて針の先ほどに小さく光る青い地球が写っていました。<br />　　　　　太陽系の家族写真、その写真は、学術研究のためではなく、<br />　　　　　ただ、私たちの地球が、太陽系の第三惑星であり、<br />　　　　　そこに私たちが確かに生きているという存在証明のために撮られたのでした。<br />今も、ボイジャーは、地球からおよそ百五十億キロメートルのかなたにあり、<br />時速五万四千キロメートルのスピードで、地球から遠ざかっている。<br />　　　　　そして、恒星風の情報などを懸命に送り続けています。<br />　　　　　その電波の強さは、一万キロメートル離れたところを飛ぶ<br />　　　　　蚊の羽音くらいの微弱な信号ですが、私たちはそれに聞き耳を立てています。</p>
<p>ボイジャーを見送り続ける人間が、いる。<br />地球のどこかで、見えないボイジャーに「おはよう」と挨拶する人間がいる。<br />理由の分からない感動を覚えた。</p>
<p>&nbsp;</p><SCRIPT charset="utf-8" type="text/javascript" src="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822/JP/oshobo-22/8001/c4e0339f-022e-4edc-a029-3cf3aaf852c5"> </SCRIPT> <NOSCRIPT><A HREF="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%2FJP%2Foshobo-22%2F8001%2Fc4e0339f-022e-4edc-a029-3cf3aaf852c5&Operation=NoScript">Amazon.co.jp ウィジェット</A></NOSCRIPT>]]>
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    <title>『沖縄でなぜヤギが愛されるのか』 平川 宗隆</title>
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    <id>tag:o-shobo.jp,2010:/hoby//1.561</id>

    <published>2010-07-21T03:09:06Z</published>
    <updated>2010-07-21T03:13:20Z</updated>

    <summary>アジア文化の突端に立つ沖縄。ゼルビア観戦の旅で、沖縄へ。惨敗してスゴスゴ帰ってき...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>アジア文化の突端に立つ沖縄。</strong><br /><br />ゼルビア観戦の旅で、沖縄へ。<br />惨敗してスゴスゴ帰ってきたけれど、<br />何か記念の本をと思って買ってきた。</p>]]>
        <![CDATA[<p>知らなかったけれど、沖縄には昔からヒージャー（ヤギ）文化がある。<br />けれど、都市化やヤギ農家の高齢化、屠畜場の不足により、<br />一〇年間で消費量が半減している。<br />筆者は、石垣牛、アグーに続く、第三のブランドとして、<br />ヒージャーを全国に広めたいとの思いから、この本を書いた。</p>
<p>平成一〇年に、宮崎県で初めて「全国山羊サミット」が開催され、<br />今年平成二二年の9月に沖縄で第一三回「全国山羊サミット」が開かれる。<br />ヒージャー文化復興のチャンスだ。<br />　　　　　ヤギはウシ科ヒツジ亜科やぎ属に属しており、牛と同様に<br />　　　　　蹄が二股に分かれていること（偶蹄ぐうてい）、<br />　　　　　胃袋が四つからなる反芻胃を有することなどの特徴を備えている。<br />だから、ヤギとヒツジは似ているが、<br />　　　　　ヤギはヒツジに比べて頸が長く頭部が高く位置しており、<br />　　　　　雌雄ともに有角のものが多い。<br />　　　　　性質は活発で動作は敏捷、高い場所に上がることを好む。<br />　　　　　食性は樹葉の嗜好性が強く、新芽や低木を食害するうえ、<br />　　　　　高い木の枝に上って葉を食べることもあるので、<br />　　　　　植生の乏しい場所や小さな離れ小島などで過放牧すると、<br />　　　　　たちまち土を荒らしてしまうこともある。<br />ヤギは群れをなすが、ヒツジほど群居性は強くない。</p>
<p>ヤギ料理は、日本では沖縄が中心だが、<br />アジア中に広がっている。</p>
<p>お隣台湾では、健康食品、薬膳料理が主流。<br />韓国では、一九九〇年ごろまでは、<br />「高麗人参は気を、山羊は血を補う」として、薬用として利用されてきた。<br />いまは、女性にはヤギ、男性には犬が人気を呼んでいる。<br />ベトナムでは、湯葉、豆腐、タケノコ、ネギ、セリなど、<br />野菜をたっぷり入れたヤギ鍋が、好まれている。<br />また、雌ヤギの乳房をスライスして、七輪で焼き、<br />レタスやセリをくるんで、ピーナツバター風味のたれにつけて食べる料理も人気が高い。<br />まるで、北京ダックのヤギ版だ。<br />フィリピン、インドネシアでも、鍋や炒め物など多彩に料理されている。<br />インドでは、やはりカレー料理になる。</p>
<p>2003年の統計では、国際連合食糧農業機関によれば、<br />世界で四億七千万頭となっており、九割がアジア・アフリカ地域で飼われている。<br />ヤギ肉の消費で言えば、アジアが七十%以上。<br />ヤギ食文化は、アジアを代表する料理らしい。</p>
<p>沖縄の瀬底島には、「ピージャーオーラサイ」という闘ヤギ文化がある。<br />五月四日、ゴールデンウイーク中に開催され、年々観光客が増えている。<br />いまでは、その人気にあやかろうと、<br />沖縄本島の八重瀬町、名護市でも始まった。</p>
<p>この本の受け売りを会社でしたら、関心を持ったスタッフが<br />「ヤギ鍋ツアーをしよう」と言い出した。<br />わたしがつけた火だが、わたしの舌はきわめて保守的で、<br />中華料理以外は、アジア料理には抵抗がある。<br />時流に乗り遅れそうな予感。</p>
<p>ホンマ、冒険は、食から始まるのに。</p>
<p>&nbsp;</p><SCRIPT charset="utf-8" type="text/javascript" src="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822/JP/oshobo-22/8001/3c7f89b4-4ac7-497e-b41d-007382b34645"> </SCRIPT> <NOSCRIPT><A HREF="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%2FJP%2Foshobo-22%2F8001%2F3c7f89b4-4ac7-497e-b41d-007382b34645&Operation=NoScript">Amazon.co.jp ウィジェット</A></NOSCRIPT>]]>
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    <title>『幻のサッカー王国』 宇都宮 徹壱</title>
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    <published>2010-07-14T03:48:09Z</published>
    <updated>2010-07-14T03:51:39Z</updated>

    <summary>卒業旅行。著者・宇都宮さんは、31歳のとき、会社を辞めて旅にでる。自分で背中を押...</summary>
    <author>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>卒業旅行。</strong><br /><br />著者・宇都宮さんは、31歳のとき、会社を辞めて旅にでる。<br />自分で背中を押すように、日本を離れる。<br />旅から帰ってきても、二度と同じ場所には戻れなくさせる旅。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　　　　　97年2月、私はそれまで勤めていた会社を辞め、<br />　　　　　バックパックにカメラ器材とありったけのフィルムを詰め込んで<br />　　　　　飛行機に飛び乗った。<br />　　　　　目的地は、いまだに「欧州の火薬庫」という枕詞が健在のバルカン半島。<br />　　　　　そして「ずっと気になっていた場所」ユーゴスラビアである。<br />著書のバルカン半島の旅は、スロヴェニアから始まる。<br />そして、クロアチア、ボスニアとバスを乗り継ぐ。<br />ヨーロッパの競合国に有力選手を奪われ、<br />かなり士気の下がったサッカーのリーグ戦と、内戦の傷跡に出会う。</p>
<p>ボスニアの傷の深さに、宇都宮さんはたじろぐ。<br />けれど、哀しい風景は、どうして、こんなに美しく文章で始まるのだろう。<br />　　　　　サラエヴォの週末は、花屋がとても賑わう。<br />　　　　　メインストレートでは、花束を抱えたムスリムの家族連れをよく目にする。<br />　　　　　彼らは、それを戦火で失った家族や恋人、友人に手向けていた。<br />わたしも、3年前にサラエヴォに旅したが、<br />サッカー練習場は、墓場となったままだった。<br />　　　　　死者はサラエヴォの墓地からあふれだし、空き地や公園までもが<br />　　　　　彼らの安息の地となる。それらの墓標はすべて92年以降に建てられたものだ。<br />　　　　　質素な墓が多いのは、どこからともなく襲ってくる銃撃に怯えながら、<br />　　　　　急いで埋葬せざるを得なかったためだろう。<br />　　　　　まるでそのことを死者に詫びるかのように、<br />　　　　　真新しい花束があちこちの墓標に添えてあった。<br />ボスニアは3つの民族に分裂し、<br />サッカーリーグも、民族ごと3つのリーグ、<br />「ムスリム・パート」「クロアチア・パート」「セルビア・パート」に分かれた。<br />そして、FIFAに加盟できたのは、ムスリム系の団体だけだった。</p>
<p>サラエヴォから、一番の目的地・セルビアへは空路もバス便もない。<br />いったんセルビア人共和国のパレに出るしかない。<br />パレなら、セルビアのベオグラードまでのバス便がある。</p>
<p>しかし、パレはセルビア人共和国の本拠地。<br />国連旧ユーゴスラヴィア戦争犯罪国際法廷で起訴されながら、<br />依然、カラジッチが権勢を振るう地だ。<br />サラエヴォのタクシー運転手は、恐れをなして行ってくれない。</p>
<p>しかし、苦難の末に、ベオグラードに入る。<br />そこで待っていたのは、疲弊したサッカーリーグと、<br />学生の万単位の動員をかけたデモ隊だった。<br />　　　　　昨年11月、ユーゴスラヴィアの地方選挙で野党が圧勝したにもかかわらず、<br />　　　　　ミロシェヴィッチ政権はこれを黙殺、無効とした。<br />　　　　　同時期、当局の学生への暴力事件が発覚。一気に学生たちの怒りが爆発した。<br />　　　　　運動は昨年から今日まで一日も途絶えることなく続き、今日で110日目を迎えた。<br />著者も、デモ隊に毎日参加し、機知富んだリーダーや「誇り高い男」に出会う。<br />「誇り高い男」は、学生のデモにあって、数少ない大人だった。<br />怪僧ラスプーティンのような風貌、<br />眼光鋭く、片足で松葉杖を突いている。<br />胸には勲章のようにたくさんのバッジをつけている。<br />カメラに収めたかった。<br />しかし、威圧されてシャッターを押せなかった。</p>
<p>著者がベオグラードの最後の日、<br />「誇り高い男」から肩を叩かれる。<br />　　　　　「誇り高い男」は胸につけていたたくさんのバッジの中からひとつ外すと、<br />　　　　　おもむろにわたしに差し出した。<br />　　　　　相変わらず厳しい表情だったが、その瞳にはもはや敵意はなかった。<br />著者は、それを「同志」と認めてくれたらしいサインと受け止めた。<br />そして、初めてシャッターを切った。</p>
<p>言葉が通じないから、真の意味は分からない。<br />著者の強引で勝手な解釈に過ぎない。<br />しかし、著者は、その「身勝手」を得るために旅に出たのだ。</p>
<p>そんな清清しい青春のエネルギーに満ちた、旅立ちの記だ。</p>
<p>&nbsp;</p><SCRIPT charset="utf-8" type="text/javascript" src="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822/JP/oshobo-22/8001/09d328c9-74cb-4ca0-8424-756816125eb8"> </SCRIPT> <NOSCRIPT><A HREF="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%2FJP%2Foshobo-22%2F8001%2F09d328c9-74cb-4ca0-8424-756816125eb8&Operation=NoScript">Amazon.co.jp ウィジェット</A></NOSCRIPT>]]>
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    <title>『ワールドカップは誰のものか FIFAの戦略と政略』 後藤 健生</title>
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    <published>2010-07-07T03:43:50Z</published>
    <updated>2010-07-07T03:48:29Z</updated>

    <summary>南アフリカから町田へ、道は通じている。日韓Wカップは、韓国の鄭夢準会長が日韓共同...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>南アフリカから町田へ、道は通じている。</strong><br /><br />日韓Wカップは、韓国の鄭夢準会長が<br />日韓共同開催案を持ち出して決まった。<br />2010年の開催地は、ブラッター会長がアフリカを強く支持した。<br />ふたつとも、FIFAの権力争いが絡んでいる。<br />そのパワーバランスを上手に突いた国が、開催地の権利を得た。</p>]]>
        <![CDATA[<p>政治・政略が絡むのは、当然のことで、嘆くことではない。<br />世界を代表するイベントが、純粋な社会貢献や奉仕ではありえない。<br />だったら、社会的意義がないか、といえば、<br />それだけに、ますます意義は高まっている、というのが、<br />著者が、一番伝えたかったことではないか。<br />では、今回の南アフリカ大会の意義とは、何か。</p>
<p>南アフリカの場合は、血統も歴史も違ういくつもの人種が共存している。<br />しかも、アパルトヘイトで分断されてきた。<br />　　　　　南アフリカの地には、1万年ほど前から狩猟採集生活を営む原住民がいた。<br />　　　　　12、3世紀頃、西アフリカあたりから農業を生業とする、<br />　　　　　いわゆる「黒人」がやってきた。<br />　　　　　15世紀には、ポルトガル人、16世紀後半には、オランダ人がやってきて、<br />　　　　　ヨーロッパと東インド会社の本拠地バタビアと結ぶ<br />　　　　　船舶の補給基地として、街を作った。それは、現在のケープタウンとなった。<br />　　　　　ケープタウンには、マレー系、マダガスカル人、西アフリカの黒人が、<br />　　　　　奴隷として送り込まれた。コイコイ人と呼ばれる原住民も、<br />　　　　　奴隷のような境遇になった。<br />18世紀、オランダの勢力の衰えを狙って、イギリスがケープタウンを占拠。<br />1876年、イギリスは正規軍を動員して、シャカ王が建国したズ―ル王国を征服する。<br />その際、駐留イギリス軍の中の労働者階級出身の兵士たちが、<br />熱心にサッカーに興じた。<br />それが、南アフリカにおけるサッカーの始まりだといわれている。</p>
<p>ズ―ル王国は、ナタール植民地となり、サッカーの中心地となる。<br />1879年には、ナタール植民地の中心、現在のダーバンに<br />全国で初めてのサッカークラブが生まれる。</p>
<p>ナタールに続いて、サッカーが盛んになったのは現在のヨハネスブルグ。<br />1886年に金鉱が発見され、多数のアフリカ人労働者が集まってくる。<br />低賃金、劣悪な労働環境の中、経営者は、サッカーを奨励する。</p>
<p>さまざまな民族、さまざまな地方出身で、<br />伝統的な社会や社会規範から切り離された存在となった労働者。<br />サッカーは、癒しだけでなく、社会としてまとめる支えともなる。<br />　　　　　独自の新しいコミュニティーを形成するための<br />　　　　　一つのきっかけとなったのがサッカーの試合だった。<br />　　　　　試合当日には多くのアフリカ人たちが集まって、<br />　　　　　「シャビーン」と呼ばれる酒場で音楽や踊りに興じ、<br />　　　　　アルコールに酔って一日を過ごし、そうした中で人間関係を<br />　　　　　築き上げることによって「社会」が形作られていったのだ。<br />サッカーはすべての人種に広がっていった。<br />統括団体も、人種ごとに生まれ、7団体になった。<br />　　　　　1961年の時点では、白人によるNFL、全人種参加のSASL、<br />　　　　　そして政府の政策に基づくアフリア人協会のNPSLと、<br />　　　　　南アフリカには3つのプロ・サッカーリーグが並存する。</p>
<p>1990年に白人政権のデクラータ大統領はネルソン・マンデラなどの政治犯を釈放する。<br />その翌年91年にサッカー団体も、ひとつになり、<br />新しく「南アフリカ・サッカー協会(SAFA)」が誕生する。<br />1994年5月10日、FAFAに正式に加盟。<br />100年以上に上る人種の壁を越えることになった。<br />　　　　　民主化した南アフリカで初の大統領となったネルソン・マンデラは、<br />　　　　　就任の翌年1995年に開催されたラグビーの第3回ワールドカップを、<br />　　　　　「白人と黒人、すべての民族の和解のシンボル」と位置づけた。<br />白人のシンボル、ラグビーWカップを尊重した黒人、<br />アフリカ人のシンボル、Wカップサッカーを支持する白人。<br />この大会によって、双方からの歩み寄りが成り立った。</p>
<p>南アフリカをひとつにまとめるサッカーは、町田にも通じる。<br />町田も、町田で生まれ育った人は少ない。<br />東京で働くためにでてきた。たまたま住んだところが町田だった。<br />東京は選んだが、町田を選んだ意識は薄いのではないか。</p>
<p>南アフリカの複雑な事情といっしょしては、あまりにも稚拙な発想になるが、<br />さまざまな意識の人をつなげるのに、きっと、サッカーは役立つ。</p>
<p>町田ゼルビアで、町田をひとつに！</p>
<p>&nbsp;</p><SCRIPT charset="utf-8" type="text/javascript" src="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822/JP/oshobo-22/8001/11fe5fb3-d58f-477c-81c1-982ae3688a84"> </SCRIPT> <NOSCRIPT><A HREF="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%2FJP%2Foshobo-22%2F8001%2F11fe5fb3-d58f-477c-81c1-982ae3688a84&Operation=NoScript">Amazon.co.jp ウィジェット</A></NOSCRIPT>]]>
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    <title>『フットボールの犬』 宇都宮 徹壱</title>
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    <published>2010-06-30T03:28:57Z</published>
    <updated>2010-06-30T06:37:27Z</updated>

    <summary>「サッカー文化」というなら、必読の書。「わたしは、フットボールの犬だ。」と著者は...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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        <category term="01-書籍" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>「サッカー文化」というなら、必読の書。</strong><br /><br />「わたしは、フットボールの犬だ。」と著者は、名乗りを上げる。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　　　　　私はフットボールを愛する写真家である。<br />　　　　　ただし、写真だけでは食えないので、モノ書きも兼任している。<br />　　　　　そんなわけで、肩書は「写真家・ノンフィクションライター」なのだが、<br />　　　　　実際には、同業者が決して足を踏み入れないような辺境の地をほっつき歩いては、<br />　　　　　フットボールに興じる子供たちや、<br />　　　　　「わが街のクラブ」に情熱を注ぐ大人たちにレンズを向け、<br />　　　　　シャッターを切ることを生業としている。<br />フットボールの犬は、嗅ぎまわる。<br />あえて、ヨーロッパのサッカー辺境の地をうろつき回る。</p>
<p>まずは、アイルランドの不思議から。<br />　　　　　なぜ、アイルランドには、フットボール協会が<br />　　　　　ふたつあるのか（IFA=ベルファストのフットボール協会、<br />　　　　　そしてFAI=在ダブリンのフットボール協会）。<br />　　　　　なぜ、それぞれの協会は、独自の代表チームのリーグを持っているのか。<br />　　　　　なぜ北アイルランド（IFA）だけが、イングランド、スコットランド、ウエールズト同じ、<br />　　　　　栄えある英国4協会の一員なのか、などなど。<br />さらに、アイルランドには、もっとおかしなことがある。</p>
<p>アイルランドは、1922年、英国から独立した。<br />しかし、北東部アルスター9州のうち6州は、連邦への残留を決める。<br />アルスターには英国からの入植者が多く、プロテスタントが多数派を占める。<br />カソリックを国教とするアイルランドに吸収されることはリスクが高い。<br />宗教が、「ふたつのアイルランド」を生み出した。<br />　　　　　私がアイルランドに惹かれていたのは、結局のところ、<br />　　　　　ひとつの島に、ふたつの協会、ふたつの代表チーム、<br />　　　　　そしてふたつのリーグが存在する不思議さに尽きる。<br />著者は、そのアイルランドの生意気にも「プレミアリーグ」と呼ばれている<br />トップリーグの取材に赴く。<br />ホームのセインツが、ローバアーズを迎えての「ダブリン・ダービー」。</p>
<p>意気揚々、著者はセインツのホーム「リッチモンド・パーク」に向かう。<br />けれど、歩けども歩けども、スタジアムは姿を現さない。<br />セインツのサポーターらしいき人影を見つける。<br />　　　　　だが、彼らが吸い込まれてゆく小さな赤い門の向こう側には、<br />　　　　　やはりスタジアムらしきものは何にも見えない。<br />次第に不安な気持ちが募ってゆくが、<br />　　　　　門をくぐって、よくやく状況が理解できた。<br />　　　　　リッチモンド・パークは、地面を穿ったような、<br />　　　　　さながら巨大な竪穴式住居跡のようなスタジアムだったのである。<br />　　　　　外壁は存在せず、スタンドの向こう側には民家が軒を連ねている。<br />　　　　　おそらく住民は、窓から無料観戦できるはずだ。</p>
<p>北アイルランド・アルスター6州の中の街「デリー」には、<br />本来所属すべき北アイルランドリーグではなく、<br />なぜか隣国アイルランドリーグに「越境」して活動を続けているチームがある。<br />地元クラブのデリー・シティFC。<br />「越境」には理由がある。そのわけを捜し求めて、犬はうろつく。<br />　　　　　石畳の坂道をトボトボとあるくうちに、ふいに私は、<br />　　　　　おそらくこの街で唯一であろう、なんとも鄙びたスポーツ洋品店を発見した。<br />　　　　　「サッカー・プラネット」という看板を掲げる、その店のウインドウには、<br />　　　　　禿げ頭のマネキンが赤と白のストライプのレプリカを着て、<br />　　　　　あらぬ方向を凝視している。<br />デリー・シティのグッズを扱うショップの店主、<br />「何とも無愛想な感じの太った初老の男」は、<br />「72年まで、私はデリー・シティFCのGKだった」と告げた。</p>
<p>店主によると、<br />デリー・シティは1928年に設立、翌年に北アイルランド1部リーグに加入、<br />リーグ優勝、カップ優勝も果たす中堅チームとなった。<br />しかし、カソリック系住民とプロテスタント系住民との抗争が激化、<br />ついに72年、カソリック系のデモ隊に英国軍が発砲し、14人の犠牲者を出した<br />「血の日曜日事件」が起こる。<br />この事件を受けて、北アイルランドのクラブが、<br />デリーでのゲームを一斉に拒否し、デリー・シティは孤立し、<br />72年、活動停止に追い詰められる。</p>
<p>それから13年、散り散りになった元プレイヤーたちが立ち上がり、<br />デリー・シティは復活する。<br />北アイルランドではなく、アイルランドリーグの一員として。</p>
<p>アイルランドのように、サッカーにまつわる宗教の影を、<br />トルコのように、国際テロにもめげないサッカーへの思いを、<br />フェロー諸島のように人口4０万人足らずの国のWカップへの夢を、<br />「フットボールの犬」はくわえて帰ってきてくれる。</p>
<p>ひょっとしたら、Wカップから遠く離れた辺境の地でこそ、<br />サッカーの夢が生きているのじゃないか。</p>
<p>&nbsp;</p>
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    <title>『サッカーW杯 英雄たちの言葉』 中谷 綾子 アレキサンダー</title>
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    <published>2010-06-23T01:11:26Z</published>
    <updated>2010-06-23T01:21:01Z</updated>

    <summary>「人生は苦しみも喜びも半分ずつ」2年ほど前、カメラマンの岸本剛さんから、1930...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>「人生は苦しみも喜びも半分ずつ」</strong><br /><br />2年ほど前、カメラマンの岸本剛さんから、<br />1930年、第1回Wカップ決勝のスタジアムの写真を<br />見せてもらったことがある。<br />ウルグアイの「エスタディオ・センテナリオ」<br />電光掲示板はなく、朽ちたスタンド。<br />威厳と哀しみに満ちた写真だった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>ウルグアイは、1924年と28年のオリンピックで連続優勝した。<br />その勢いで、30年のWカップ開催国として名乗りを上げた。<br />30年は、ウルグアイの独立宣言から100年目に当たる。<br />29年、めでたく開催国に選ばれ、30年2月からスタジアムの建設にかかる。<br />開催は、あと5ヶ月。<br />　　　　　ウルグアイの人々は、24時間、夜は大きなスポットライトを使用しながら、<br />　　　　　三交代制で働き続けた。<br />スタジアムは、7月18日、センテナリオの日<br />（ちょうど100周年にあたるウルグアイ独立記念日・正確には憲法記念日）に無事、<br />ぎりぎりで完成した。<br />　　　　　ただ、セメントは未だ完全に乾き切っていなかった。<br />　　　　　しかし、もちろん試合は行われた。<br />　　　　　その時につけられた人々の足跡が、まるでその日を物語るかのように、<br />　　　　　今日もセメントに残されている。</p>
<p>それから80年の歴史を重ねたWカップは、<br />200カ国以上参加する世界最大のイベントに成長した。<br />だが、優勝経験した国は、わずか7カ国。<br />南米とヨーロッパの2地域にしか生まれていない。<br />そのふたつの地域は、「選手を生み出す南米（南アフリカ）」と<br />「買いあさるヨーロッパ」を生み出した。<br />　　　　　サッカー界は、悪く言えば、人身売買の世界。<br />　　　　　その取引は、選手の幼い時期に始まる。<br />　　　　　ビッグクラブは、選手を一日でも早く囲いたいがために、<br />　　　　　選手の家族ごとクラブの地域に移住させることも厭わない。<br />だから、Wカップは、<br />　　　　　巨大な選手見本市の状態になり、<br />　　　　　スター選手に限らず各国の優秀な若手選手が、<br />　　　　　潤沢な資金を持つ強豪クラブに「買われて」いく報道を目にする。<br />ヨーロッパのビッグクラブに目をつけられた少年や青年は、<br />サッカービジネスに翻弄される。<br />　　　　　「ヨーロッパに移籍してきた南米やアフリカの若い子たちは、<br />　　　　　ピッチに慣れる前にしておかなくてはいけないことがある。<br />　　　　　それは、これから、日々めまぐるしく変わっていく自分の環境に対して、<br />　　　　　心のスタミナをつけることだよ。<br />　　　　　そして、必ず魂のよりどころを持っておくことだ」<br />幸運にして生き残っても、マラドーナのような運命が待っている。<br />　　　　　有名なクラブには、数十人の若い選手が集められ、<br />　　　　　1年後、2名ぐらいしか残らない。<br />　　　　　そのうちのひとりは、ドラッグを魂の拠り所とした。<br />　　　　　そのサッカーの光と影、そのものの人生を生きたのが、マラドーナだった。</p>
<p>ポルトガルの至宝とも称えられるフィーゴも、<br />サッカーの才に恵まれすぎた上に、<br />屈折した青春と向きあうことになる。<br />フィーゴはスポルディングで活躍する。<br />　　　　　「単純に、両親や親戚、皆ベンフィカ・ファンだったのさ（笑）。<br />　　　　　なぜ、自分の身内が、自分たちが応援しているチームを<br />　　　　　一生懸命倒そうとしているのか、歯がゆかったんじゃないかな？<br />　　　　　昨日まで応援してくれていた人たちのそんなジレンマが<br />　　　　　まだ幼かった自分には少しつらかったね」<br />そして、スポルディングからバルサに移籍し、<br />神がかり的なプレーで評判を高める。<br />しかし、98年ワールドカップにおいても「フィーゴのポルトガル」は、<br />またも欧州予選で敗退、出場を逃した。<br />　　　　　バルセロナでの活躍によってなされるアイドル的な報道。<br />　　　　　「すごいフィーゴ」「でも弱いポルトガル代表」など矛盾する情報が錯綜する中、<br />　　　　　98年ワールドカップが終了後、フィーゴは決意表明をする。<br />　　　　　「次のワールドカップには、俺がポルトガル代表を連れていきます。」<br />確かに、フィーゴはポルトガルを2002年日韓ワールドカップに連れてきた。<br />しかし、韓国でのグループ・リーグで敗退し、静かにWカップを去った。</p>
<p>2010年南アフリカ大会は、「メッシのWカップ」とも言われている。<br />メッシも、「バルサでは活躍するが、アルゼンチンのためには仕事をしない」と<br />バッシングを受けた。</p>
<p>メッシは、どんな思いで本戦のピッチに立っているのだろうか。</p>
<p>&nbsp;</p><SCRIPT charset="utf-8" type="text/javascript" src="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822/JP/oshobo-22/8001/6b37fb3e-d4c9-4db3-9f06-0d2e59a2c014"> </SCRIPT> <NOSCRIPT><A HREF="http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&MarketPlace=JP&ID=V20070822%2FJP%2Foshobo-22%2F8001%2F6b37fb3e-d4c9-4db3-9f06-0d2e59a2c014&Operation=NoScript">Amazon.co.jp ウィジェット</A></NOSCRIPT>]]>
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    <title>『社長 ・ 溝畑宏の天国と地獄』 木村 元彦</title>
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    <published>2010-06-16T04:55:00Z</published>
    <updated>2010-06-16T08:25:44Z</updated>

    <summary>批判より行動を！大分トリニ―タを、社長としてJ1に導いた溝畑宏。2008年にナビ...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://o-shobo.jp/hoby/">
        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>批判より行動を！</strong><br /><br />大分トリニ―タを、社長としてJ1に導いた溝畑宏。<br />2008年にナビスコカップで優勝し、公言通り日本一に輝いた。<br />その翌年、2009年に社長を解任される。<br />すると、飛び移るように観光庁長官に抜擢される。</p>]]>
        <![CDATA[<p>シーソーのように天国と地獄を味わい、<br />経営に行き詰った大分を逃げ出したとも、追い出されたとも、噂は尽きない。<br />どちらが事実なのか、<br />どちらも真実なのか。</p>
<p>大分トリニティは、94年4月8日に大分FCとして産声を上げた。<br />　　　　　W杯招致のために作られた、極めて人為的なクラブであった。<br />だから、金集め、選手集め、すべてが一からの作業になった。<br />W杯招致の声を上げたのは、大分県、<br />すなわち、ときの知事・平松だが、<br />県が、チーム運営に全面的にバックアップしたわけではない。<br />地元経済界も、冷ややかに距離をとった。<br />県のサッカー協会とも一線を置かれた。<br />そして、マスコミは無理解で無関心。<br />結局、大分県庁に出向していた高級官僚、<br />溝畑の奮闘に頼らざるを得ないチームが出来上がった。</p>
<p>裸一貫でJチームを起こすような溝畑の苦闘が始まった。<br />数々の苦労の中で、何はなくとも大切な運営資金集めに奔走した。<br />地元企業・朝日ソーラを口説き落とし、<br />メインスポンサーとしての金を引き出した。<br />しかし、頼みの朝日ソーラは、1997年当時通産省の行政指導を受け、業績が暗転する。<br />スポンサーを急遽下りざるを得なくなる。</p>
<p>朝日ソーラのほかに、地元に頼みとする企業はなく、<br />つてを頼って県外に求める。<br />リフォーム業界の雄、相模原に本社を置くペイントハウスを口説き落とす。<br />しかし、2004年、ペイントハウスの経営が行き詰まって、<br />胸のスポンサーを降りる。<br />年間5億円のスポンサー料が消えた。</p>
<p>それでも溝畑はめげずに<br />京都に本社を置くマルハンを捕まえる。<br />2005年から胸スポンサーとなった。<br />Jリーグは、パチンコホール業界に、公式スポンサーを認めていなかったが、<br />特例として胸スポンサーを認めた。<br />しかし、トリニ―タやサポーター35万人の著名嘆願も実らず、<br />2006年から胸に表示できないこととなった。<br />なんのための、スポンサーか。<br />ついに、2008年7月、スポンサーを降りる。<br />お金を惜しんだからではない。<br />マルハンのオーナーは、日本に帰化した韓国人。<br />常に差別と闘ってきた。<br />パチンコホールを企業として認めないこと、その差別が許せなかった。</p>
<p>溝畑は、苦境のたびに、<br />「逆境いらっしゃい」と豪語して、支援者を探し、<br />なんとか、トリニ―タの命をつないできた。<br />しかし、その命運もつきた。<br />サポーターにも反旗を翻され、<br />新聞社の無神経な記事に足をすくわれた。</p>
<p>溝畑は多くの間違いもあっただろうが、<br />大分トリニ―タを育てた。<br />今、溝畑を批判する人は、何を批判するのか。<br />もっとやり方はあった、広報もまずかった、出しゃばりすぎた・・・<br />言い出せばきりがないほど欠点をさらけ出した男だったかもしれない。</p>
<p>けれど、代わりに誰ができたのか、<br />誰がしょうとしたのか。<br />あらゆる批判は、ここを出発点にしなければ、フェアじゃない、と<br />本を読み終えてしみじみ感じた。</p>
<p>&nbsp;</p>
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    <title>『ヤノマミ』 国分 拓</title>
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    <published>2010-06-09T01:59:54Z</published>
    <updated>2010-06-09T06:48:07Z</updated>

    <summary>人間は、ダニだ、ノミだ、精霊だ。NHKで放映されたドキュメンタリー映像「ヤノマミ...</summary>
    <author>
        <name>admin</name>
        
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        <![CDATA[<p><img class="right_img01" height="82" alt="筆者：おっちゃん" src="http://o-shobo.jp/images/writers/img_ochan.gif" 　width="120" /><strong>人間は、ダニだ、ノミだ、精霊だ。</strong><br /><br />NHKで放映されたドキュメンタリー映像「ヤノマミ」を見た衝撃を、<br />何人かから聞いた。<br />誰も、同じ表情で伝えてくれた。<br />誰もが、同じシーンを話した。<br />神々しいものに触れたという顔で。<br />ひょっとして、好奇なミーハーの表情になっていないか、<br />ときに、自分の顔を探るような表情で話してくれた。<br />それは、ヤノマミの女性の出産にまつわるシーンだ。</p>]]>
        <![CDATA[<p>著者は、NHKのディレクターとして、<br />「奥アマゾンで1万年にわたり独自の文化と風習を守り続ける人びと」ヤノマミと<br />百五十日間、いっしょに暮らす。<br />その百日目、出産現場に初めて立ち会う。</p>
<p>ヤノマミの女性は陣痛が始まると、家を出て森に入る。<br />十四歳のローリーは、父親が分からない子供を身ごもり、<br />四十五時間の陣痛に耐えて、やっとこどもを産み落とした。</p>
<p>　　　　　ローリーはすっかりやつれていた。暗い表情のまま俯いていた。<br />　　　　　その傍にこどもが転がっていた。女の子だった。<br />　　　　　こどもは手足をばたつかせていた。ローリーの母親が来て、<br />　　　　　産まれたばかり子どもをうつぶせにした。そして、すぐにローリーから離れた。<br />　　　　　子どもの前にローリーだけが残された。<br />ヤノマミの女たちが見守る。<br />　　　　　一瞬嫌な予感がしたが、それはすぐ現実となった。<br />　　　　　暗い顔をしたローリーは子どもの背中に右足を乗せ、両手で首を絞め始めた。<br />筆者は、なんとか、見つめ続けるように自分に言い聞かせた。<br />　　　　　彼女は表情を殆ど変えなかった。憔悴しきっていたのかもしれない。<br />　　　　　暗い顔を子どもの方に向けながら子どもを絞め続けていた。<br />そして、<br />　　　　　小さな子供たちも集まって来て、親の陰に隠れるようにして、<br />　　　　　ローリーの行為をずっと見つめていた。<br />それは、女だけの儀式のようにだった。<br />　　　　　その長い儀式は、天に還された子どもの亡骸がバナナの葉に包まれた時、終わった。<br />その亡骸は、ローリーの母親と姉によって、<br />　　　　　二人は亡骸を納める白蟻の巣を森に探した。二人が選んだのは木の上にある巣ではなく、<br />　　　　　地面から盛り上がるように作られた円錐形の巣だった。<br />　　　　　その白蟻の巣は六十センチほどの高さがあり、こんもりと膨らんでいた。<br />　　　　　ローリーの姉が白蟻の巣に縦長の切れ目を入れ、その中に嬰児の亡骸を納めた。<br />産まれたままの子どもは、人間ではない。<br />まだ精霊だ。<br />母となるものが、手に抱きしめると、人間となる。<br />精霊か、人間か。<br />それは、母となる女性の判断にゆだねられる。<br />女たちが、何を基準に決めるのか、部外者にはわからない、<br />問うこともできなかった。<br />分かっているのは、ヤノマミの一万年以上続く風習であること。</p>
<p>ヤノマミでは、子どもは亡くなったのではない、<br />精霊になったと考える。<br />長老は言う。<br />　　　　　地上の死は死ではない。<br />　　　　　私たちも死ねば精霊となり、天で生きる。<br />　　　　　だが、精霊にも寿命がある。<br />　　　　　男は最後に蟻や蠅となって地上に戻る。<br />　　　　　女は最後にノミやダニになり地上に戻る。<br />地上で生き、天で精霊として生き、最後は虫になって消える。</p>
<p>人間もダニもノミも、いっしょなのだ。<br />天も地も、いっしょなのだ。<br />人間の生命観や死生観などのレベルではない。<br />ヤノマミは、人間も一つの生命と見た宇宙観なのか。</p>
<p>読後、一瞬、頭が真っ白になった。<br />立ち上がった後も、何も見えない三回戦ボクサーのような気分になった。</p>
<p>&nbsp;</p>
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