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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2010年10月12日

「令嬢ジュリー」 SPAC

筆者:いぬどこにも行けない人

ずっと家の中にひきこもり、遊んでばかりいる。
お金には不自由してない。だから仕事もなんにもしない。
どこかに行きたい、何かをしたい。でもどうすることもしない、できない。
そんな人の話。

あるいは。
お金はあんまり儲からないけど、
安定した職場で、真面目に働いている。
自分の「分」をわきまえている。限界も知っている。
わきまえてさえいれば、毎日は平穏だ。それが幸せだ。
でも、どこかに行きたい、何かをしたい。
そんな人の話。

これは現代の話ではない。『令嬢ジュリー』は、
1888年にスウェーデンの劇作家、ストリンドベリによって書かれた。
貴族の令嬢が、屋敷の中で繰り広げられる「夏至祭」の大騒ぎに乗っかって、
下男と一夜の恋に落ちる。
行き詰まった自分。開放されたい。
その時はいい。セックスには美しさとパワーがある。
全能感に浸れる。どこかに行ける気がする。
でも、情事のあとで訪れるのは、圧倒的な「現実」だ。

野心に溢れ、若く美しい下男は、自己保身から、
あるいは自分の野心を実現するために、
さまざまな言葉を使い、
令嬢を支配し、あるいは動かそうとする。
しかし彼が見ている世界はあまりに狭く浅薄だ。
「ここを出て、田舎町でホテルを開業する」だなんて、
なんの根拠もないビジネスモデルしか持ってない。
令嬢だって、自分で自由になる金も権力も持ち合わせず、
状況を打開する社会的な能力もない。
ただ「私に命令して」「私をここから連れて行って」と繰り返すだけ。

どこにも行けない二人。朝には屋敷の主人「伯爵」が帰ってくる。
帰ってきたら、この関係が露見する。
そうなればすべては終わり。だからどこかに行かなきゃ、今のうちに。
でも、どこへ?行ってどうするの?
その繰り返し。夜が明けてくる・・・。

「貴族」、「令嬢」、「下男」、というラベルをはがしてしまえば、
これは僕らの物語でもある。
演出のフレデリック・フィスバックは「夏至祭」を、
まるでビバリーヒルズのお屋敷で今夜も行われているだろう金持ちのどんちゃん騒ぎに見立て、
舞台空間や衣装を現代のそれに置き換えた。
「ケーススタディハウス」よろしく前面をガラス窓で仕切った屋敷のセットは、
同時に大きな「箱」として僕らの前にあらわれる。

令嬢は、あなただ。下男は、僕だ。
もちろん、お金はそんなにない。
あるいは逆に、貧しい出身というわけではない。
しかし日々を平穏に暮らしながら、
どこかで「どこへも行けない」と感じている。

どこかへ、行かなくちゃ。
でも、どこへ?

 

紹介演劇データ

  • タイトル:「令嬢ジュリー」
  • 脚本:アウグスト・ストリンドベリ
  • 演出:フレデリック・フィスバック
  • 公演日:2010年10月
  • 劇場:静岡芸術劇場(静岡)