• HOME
  • >  おっちゃんの「感想・鑑賞録」
文字サイズ
大
中
小

おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2010年9月29日

『スリランカの悪魔祓い』 上田 紀行

筆者:おっちゃんつながりをなくした人に、「悪魔」が憑く。

著者は、文化人類学者。
「悪魔祓い」に憑かれて、フィールドワークのためにスリランカに赴く。

1980年代の2年間、「悪魔祓い」の場に立ち会い、呪術師に話を聞く。
     「どんな人に悪魔が憑くのだろう」
     そう訪ねると呪術師も村人もこう答える。
     「それは孤独な人だよ」
     孤独、タニカマという言葉だ。
孤独な人に、悪魔のディスティが来る、という。
     ディスティとは眼差しという意味だ。孤独な人が悪魔に眼差しされる。
     悪魔の力とは患者を眼差す力なのである。
悪魔に眼差された人を直すには、孤独を癒せばいい。
それは、「温かい人の輪の中で患者をもう一回取り囲むこと」
     孤独でない人には悪魔の眼差しはこない。
     つまり、人が眼差し眼差しされあうような温かい関係の中にあるとき、
     悪魔の眼差しはこない。しかしその温かい人の輪の外に投げだされてしまうと、
     人は悪魔に眼差されてしまうのである。

現代社会は、病んでいるのは患者個人、あるいは患者の体の一部だと考える。
しかし、スリランカでは、「病んでいるのは患者と
そのまわりを取り巻く環境との関係」なのである。
     患者個人だけが患者なのではない。患者のいる世界まるごとが
     悪魔祓いにはかかわっているのだ。
すなわち、
     病は「関係」から生まれるのである。

スリランカでも、西洋文明主義という近代化が進む。
「悪魔祓い」は、教養がない田舎の因習との考えが広がって来ている。
しかし、スリランカ精神医学会会長のハリスチャンドラ博士は、
「悪魔祓い」を応用したヒブノエクソシズム(催眠脱霊法)を開発した。
呪術師や患者が舞い、悪魔にお供え物をし、
村人がこぞって騒ぐ「悪魔祓い」ではなく、
医務室で、医者対患者で静かに治療が行われる。
優れたイメージトレーニングだ。

「人間の脳が現実の出来事と、現実と同じぐらい鮮明に描いたイメージとを区別できない」
との脳生理学者品川嘉也氏の考えを引用すると、
     頭の中のいいイメージ、成功イメージを鮮明に浮かべ、脳に焼きつけると、
     脳はそれを現実と同じように反応し、そのイメージ情報に沿った行動を開始する。
     そして全身にいい指令を送り、その結果その人の持つ能力は一〇〇パーセント、
     いやそれ以上に発揮されるのである。
「悪魔祓い」の中のイメージトレーニング効果を抜き出した療法は、
「悪魔祓い」に似た効果を上げる。
しかし、「悪魔祓い」とヒブノエクソシズム(催眠脱霊法)とは、本質的に違う。
ひとつは、五感で感じる経験ではない。
     「全感覚を動員する」ということだ。効果的なイメージの描き方は五感を
     フルに使うことだ。
そして、村人も参加していない。
     精神神経免疫学などの新しい科学が明らかにしたのは、
     われわれの生命力が「つながり」の中でこそ最大限に発揮されるという事実だった。
     人の温かいつながりの中でいきいきとし、そのつながりを失うと病む。
     われわれ人間の中には、長い人類史の中で築きあげられてきた、
     「つながりの中でいのちが輝く」というプログラムが存在しているのだ。
いま、息をしている場、そこでいのちを営む人や生き物、
その「すべてでつながる」意識が、人の心の闇を照らし、救うという。
     癒しが「いのちのつながり」の中にあるということだ。

この本によって、「癒し」という言葉と概念が、日本に広まった。
「癒し」は、巨大な産業になって定着した。
「癒し」は、ちょっと心地よくなる、という、個人のレベルに戻ってきた。
けれど、著者のいう癒しとは、
右脳のアイディンティティによる、世界と「私」の同一化だ。
     左脳は言語というメディアを使い、右脳はイメージというメディアを使う。
だから、左脳が対象を分析する時、
     そこには分析する「私」と分析される対象との間の距離が必要だ。
しかし、右脳的アイディンティティは、
     ものごとの本質を直観するためには、対象との距離がなくならなくてはいけないのだ。
     その対象と同一化し、どこまでが私でどこまでが対象なのかわからなくなり、
     そのふたつが一体となったときにはじめて
     右脳的なコミュニケーションが可能になるのである。

いのちのつながり、そのつながりの中にいる自分を実感すること。
「癒し」とは、あらゆる生あるものとの共存の中にある。
生物多様性を素直に受け止めることではないか。
「悪魔」も含めて。