『木槿(むくげ)の咲く庭 - スンヒイとテヨルの物語』 著者 : リンダ・スー・パーク 邦訳 : 柳田由紀子
食べ物も名前も奪われて。
友人が翻訳した本が好評で、前進座の演目になった。
以前、メールの形でご紹介した
「木槿(むくげ)の咲く庭―スンヒイとテヨルの物語」
原著は、韓国アメリカ人二世の女性リンダ・スー・パークさん。
邦訳は、ロングビーチ在住の柳田由紀子さん。
訳者、柳田さんのあとがきによると、
街の書店で偶然この本を知ったという。
原題は、
「私の名前が清子だった頃―第二次世界大戦中の朝鮮の物語」。
重たい。
柳田さんは、山積されたこの本から離れられず、
手に取ることもできず、いったんは帰る。
しかし、数日しても忘れ去りがたく、本屋に戻り買い求め、
すぐ読了して、結局、邦訳まで行き着く。
語り手は、妹スンヒイ10歳、兄ヨテル13歳、ふたりの兄妹。
1940年、夕餉の後の男達の会話から、物語が始まる。
話題は、創氏改名の発令だった。
韓国では、男の会話に、母といえども女は入れない。
スンヒイは気になって仕方がない。
わたしは、男の人たちの話を聞いちゃいけないことになっている。
でも、わたしは耳をそばだてずにいられなかった。
だけど、私は悪くないと思うな。
だって、耳は目と違って閉じることができないもの。
物語が始まって、まだ8行目で、すっかり、私はスンヒイのファンになった。
学校でも、クラスメートを日本名で呼び合うことになる。
一所懸命、覚える、優等生のスンヒイ。
なのに、
皇民教育のために出向いてきた日本人監督官の前で、
クラスメートを朝鮮名で呼んでしまう。
先生は、しかたなく、スンヒイを教壇に呼ぶ。
教壇に向かって歩いていく短い時間に、わたしは先生の顔を見た。
先生は悲しそうだった。
それを見てわたしは、自分のことより
先生に対して申し訳ないなと思った。
竹の笞でミミズ腫れになるほどぶたれる。
母は、軟膏で手当てしてくれたけれど、なかなか治らない。
打たれたあとはそれから何日も消えなかった。
だけど、わたしは、そのことをかえって喜んでいた。
なぜって、ヒリヒリと痛むミミズ腫れを見たり触ったりするたびに、
腹が立ったからだ。
日本人は、家族の食糧も、
母が丹精した庭の木槿も、結婚祝いの宝石も、
兄が大切にした自転車も、スンヒイの日記帳も、すべて奪っていく。
しかし、ひっそりと1本だけ木槿を壷に植え替えて、
晴れて朝鮮名を名乗れる日を待つ。
本当のことを言うと、木槿は桜ほどきれいじゃない。
でも、私は思う。
もしも、この小さな木槿が、
もう一度晴れて外に植えられる日が来たら、
その時には、この世の中でいちばん美しい木になるだろうって。
訳者の言うとおり、
懸念していた声高な日本批判もなく、
祈り目の涼やかな視線で戦争中の朝鮮の日々を綴っていた。
自習室に赴くように構えなくていい、
懺悔室にこもるような悲壮感もいらない。
読み終えたあとは、
水が怖くてプールに顔がつけられなかった少年が、
やっと顔をつけたあとのようなすっきり感です。
お茶目でかわいいスンヒイが、
戦時下の朝鮮人の思いに、やさしく導いてくれます。





