『悲鳴をあげる身体』 鷲田 清一
いのちのアウトソーシング。
子どものころ、不思議に思ったことがある。
「ひとは、どうして、土や石を食べられないのか。
米やさかなしか食べれないのか。」
ある日、ふと思い出して、母に聞いてみた。
母は、
「なんでやろね。」と言って、
しばらく考えて、
「それは、人間が生き物やからね、生き物しか消化でけへんねん。」
と言った。
へえ、ボクは、生き物か。
その時、初めて、
ボクも、庭のトカゲやミミズといっしょなのか、と、
ますます不思議になった。
でも、それ以上質問するのは、なぜか、憚られた。
生き物は、生き物を口にすることで生きてきた。
そのことでエネルギーをもらい、
じぶんが生き物であることを確認してきた。
『サブリミナル・インパクト』(著・下條信輔)によると、
近代思想は、個体からリアリティを導出したので、
「リアリティ」と言えば個体のリアリティでしかありませんでした。
生き物としての「個体」がリアリティを持ちえたのに、
「個体」の力がどんどん弱まっている。
鷲田清一さんは、言う。
人間においては「自然」がとうのむかしに壊れてしまっているので、
ひとはそれを他人との共同生活のなかでかろうじて繕ってきた。
家族という共同生活を育くみ、
いっしょに食べることによって生きる「リアリティ」を保持してきた。
調理における「殺める」ということの意味、
食事における「いっしょに」食べるということの意味、
そして味覚をきっかけにふれる「食」の意味、
これらを知るには創造力が要る。
そういう意味で、食べるということにはどこか、
わたしたちの想像力の核となるものを育むところがある。
これがここで食にこだわる最大の理由である。
しかし、戦後、食べることのみ、
生命を維持することのみを願って必死に生きてきた暮らしから、
暮らしに「快適さ」を求めるようになった。
それは、実は、「生き物」のリアリティから遠ざかる生き方だった。
むかしは調理も公共の場で、
たとえば共同炊事場でおこなわれることが多かった。
それは戦後の二十年くらいまではふつうの光景だった。
わたしの世代は、共同炊事場は少なくなっていたように思うが、
柄杓で汲み取る作業は見慣れた風景だった。
その後料理の仕事は「マイホーム」に内部化されたのだが、
現在ふたたびその過程が、わたしたちからは見えない場所に移動させられつつある。
それはちょうど、かって排泄が野外や共同便所でなされ、
汲み取りもわたしたちの面前でなされていたのに、
下水道の完備とともに排泄物処理が見えない過程になったのと同じことである。
魚をさばいたり、鳥を絞めたりする場面を見ることはない。
きれいにパッケージされた食材には、もう生き物だった気配はない。
きれいに包装されたチョコレートと、なんら変るところがない。
病人の世話が病院へ外部化された。
出産や死という、人生でもっとものっぴきならない瞬間も家庭の外へと去った。
家で母親のうめき声を聴くことも、赤ちゃんの噴きだすような泣き声も
聴くことはなくなってしまった。いや、じぶんの身体さえ、
もはやじぶんでコントロールできず、
体調がすぐれないときには、すぐに医院にかけつけるしまつだ。
生き物の匂い、息づかい、音・・・。
それは、非文明的で非文化的な要素でしかない、
「悪」となった。
忌むべき老人は、当然、家庭の外に押し出されることになる。
著者は、柏木博「家事の政治学」を引用して言う。
家事の商品化、外部化と共に、「生きて生活している環境が
いささかも自らの存在の根拠とはならないという
漠然とした存在論的な不安」が生まれてきた
それは、「いま、ここに生きる根拠」も疑わせるという。
不安は、増大するばかりだ。
でも、問題は、こんなこと言っていても、なんにもならない。
わたしたちは、寒い日、コンロで炭火を熾すことから、一日を始めるわけにはいかない。
洗濯板でシャツをゴシゴシ洗うこともできない。
いま、できることは、ありがたく、心をこめて食べることだ。
食べることで、生き物であることを、
1日3回確認することしか、ないのかもしれない。





