「クリプトグラフ」 マレビトの会
記録と記憶。思い出す、ということ。
忘れてはいけないこと、憶えておきたいことがある。
個人であれば、たとえば初恋の思い出とか。
あるいは親の死、とか。
社会で言えば、戦争、とか。
大災害、とか。
忘れてはいけないことを憶えておくために、
人は日記を書いたりする。
戦争を憶えておくために、公的に、あるいは私的に
いろいろな文書が作られ、保管される。
でも、記録は、記憶ではない。
初恋の日の空気の匂いや、相手の声の感じ、
その時の雰囲気は、再現できない。
戦争や災害の日、一人ひとりがそれぞれ感じた恐怖や不安、
いや、恐怖とも不安とも名付けられない感情は、
文字や映像、つまり「データ」として、記録できるものではない。
マレビトの会「クリプトグラフ」は、「記憶」を巡るパフォーマンスだ。
構造は、極めて難解かつ複雑だ。ストーリーと呼べるものはない。
何人かの男女が、かわるがわるに語っているのは、どうやら
「天使都市」、「声紋都市」など、架空の都市についての言説らしい。
しかし語られている言葉は、
古今東西の文書や、毎日私たちのメールボックスに飛び込んでくる、
スパム(エロ)メールからの引用に満ち、
その意味は判然としない。
記録しきれない「なにか」、
文字や映像、データにしたときにこぼれおちる「なにか」。
「なにか」が持っている手触りだけを再現しようと試みる。
その「もがき」だけが伝わってくる。
もがいている役者たちの姿は、人が何かを「思い出す」ことそのものだ。
「思い出す」ことは、常に現在形の行為だ。
すでに整理された一連のストーリーを棚から取り出してくるのではなく、
断片的なノイズの海から、その都度新たな意味を作り出す。
だから、このパフォーマンスの始まりと終わりには、
「文字化け」よろしく、混乱し、意味を持たない文字列が、スライドで映し出される。
思い出すことは、ノイズにあふれた「暗号=クリプトグラフ」の中から、
一回ごとに意味を引きずりだしてくること。
その切実な困難さだけが伝わってくる舞台だった。
紹介演劇データ
- タイトル:「クリプトグラフ」
- 劇団名:マレビトの会
- 作・演出:松田正隆
- 公演日:2009年10月
- 劇場:こまばアゴラ劇場(駒場東大前)





