青年団国際演劇交流プロジェクト2009「キョウトノマトペ」
「音」で探すコミュニケーション。
アトリエ春風舎で「キョウトノマトペ」を観た。
「オノマトペ(擬音語・擬声語・擬態語など)と声の表現を極限まで追求した」
とパンフレットにはある。
(それだけではなんだかわからないだろうから、とりあえず「youtube」においてある、
彼らのリハーサル風景をご覧ください。)
http://www.youtube.com/watch?v=QQaCvFhxXf0
「お話」はない。会話も、普通の意味では成立していない。
3人の役者が、それぞれ勝手に、言葉や音を発し、動き回る。
ここで扱われているのは、擬音語・擬態語だけではなく、
日常会話の中で僕たちが気付かないで使っている「音」全般だ。
たとえば、舌うちとか、喉をゴロゴロ鳴らす音とか、
あくびとか、鼻声とか。くしゃみとか咳とか。
作・演出のロラン・コロンは、言葉や文字では表現することができない、
つまり書き留めて、あとで読み返すことはできないけれど、
僕らのコミュニケーションには頻繁に登場する「音たち」にフォーカスを当てる。
観ているうちに僕が思いおこしたのは、
ルチアーノ・ベリオの「セクエンツァIII」で、
こちらは音楽なんだけど、音符や楽譜から逸脱して、
どんどん演劇の方に近づいていく、というベクトルの作品だ。
ちなみに「セクエンツァIII」も、youtubeで観ることができる。
http://www.youtube.com/watch?v=i2FzJDXXG-A
(ブラジル音楽の演奏家、マルシア・タボルダによるこの演奏は、まるで一人芝居だ。)
台本や楽譜では記録できない、表現の「語彙」を収集し、
高い技術によってそれを再現する、という意味において、
「キョウトノマトペ」と「セクエンツァIII」には共通点があるように思う。
違うのはそこからで、
音楽の枠を超えた新しい表現を探している「セクエンツァIII」に対して、
「キョウトノマトペ」は、「言葉」から逃げながら「コミュニケーション」を探している、
そんな風に、僕には見える。
「表現論」と「コミュニケーション論」との違い、とでも言いましょうか。
コミュニケーションはしたいけど、言葉ではしたくない。
ないしは、言葉でのコミュニケーションには嘘がある。
それは昔からあるテーマかもしれないけど、今の僕らにとっても切実だ。
「キョウトノマトペ」は、なにより切り口が新鮮だ。
そして役者が、カラダを張ってそのテーマに挑んでくれている。
だから、観ている僕たちも実感を持てる。
そこにコミュニケーションがある。
そのことが、きっと「キョウトノマトペ」を「音楽」や「パフォーマンス」ではなく、
(音楽やパフォーマンスがいけないといっているのではないですよ、もちろん。)
「演劇」にしているのだろう。
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26日まで、アトリエ春風舎にて上演中。
http://www.komaba-agora.com/line_up/2009_07/kyoto.html
紹介演劇データ
- タイトル:「キョウトノマトペ」
- 出演:古屋隆太・二反田幸平・鈴木智香子
- 作・演出:ロラン・コロン
- 公演日:2009年7月
- 劇場:アトリエ春風舎(小竹向原)





