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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2009年6月03日

『失われた場を求めて』 メアリー・C・ブリントン

筆者:おっちゃんこどもを社会に送る「場」の喪失。

著者は、ハーバード大学の教授にして、日本社会の研究家。
久しぶりに訪れた東京に戸惑う。

地下鉄が、おかしい。
居心地が悪い。
それは、なぜか。
車内がやけに静かだ、と気づく。
他愛ないおしゃべりもなく、
誰も彼もケータイの小さい画面を見つめたり、
ゲームに没頭している。
   ここには「場」がない。
   周囲の空間や人々との結びつきがない。
「場」なくしたロストジェネレーション(1990年代に学校を出た若者たち)の
悲惨さを、著者は浮かび上がらせる。

日本は、こどもたちを社会に送り出し、
社会人として一人前になるまで、「場」が責任を持ってきた。
家庭から学校へ、学校から会社へ。
それぞれの「場」が責任を持って教育し、リレーしてきた。
同じような価値観を持って、送り出してきた。

しかし、1990年代、バブルの崩壊とともに、
この「場」は崩壊する。
企業は、定期採用を縮小する。
学校は、生徒の送り先に行き詰る。
もっとも被害をこうむったのが、高校卒業生、
しかも、偏差値中位高の男子だという。

地道な調査結果が、状況を明快に物語る。
中位高の男子卒業生は、進学も正社員としての就職もかなわず、
40%が、行き場をなくす。
ひきこもり、ニート、フリーターへの道を歩む。
社会をなめている、勤勉さを忘れた、という批判は、
あまりにも一方的な見方である、と著者はいう。
その前に、社会が支援の手を離したのだ。

私たちの世代にはあった「場」
その「場」は、われわれを拘束した。
意味の分からない縛りを押し付けた。
決められた道を外れることは許されなかった。
いや、遅れることすらできない息苦しさがあった。
しかし、彷徨う獣のような青年を、
なんとか社会に送り出す装置としては働いていた。

その壊れた「場」は戻ってこない。
ひとりで決然と世の中に討ってでる子供はいい。
家族の支援が得られる子供も救われる。
しかし、特別な才も支えもない子供は、どうすればいいのか。
一続きの道ではなく、飛び石のようになったように隙間の多い道、
道を外れれば、谷底に落ちていくような仕組みの道を、
青年は、途方に暮れるしかない。

著者は、状況を冷静に分析するだけでなく、
なんとか処方箋を示そうとする。

「正社員」は当たり前ではない社会になったことを覚悟せよ。
転職を繰り返して、
自分の納得できる仕事にたどりつけるように努力せよ。
そのために、ストロングタイズ(家族や親友などの緊密な人間関係)だけでなく、
ウイークタイズ(幅広い人間関係)の構築に努めよ、と訴える。

若者たちよ、
ネットで遠い知人を捜すのも一つの方法だが、
口うるさいおっさんたちを嫌わず、
たまには、居酒屋につきあってもいいではないか。