「タトゥー」新国立劇場
家族の内戦。介入の欺瞞。
最近、近親相姦や虐待をテーマにした芝居がよく上演されている。
阿部和重の小説を原作に、
岩井秀人が脚本、富永まいが演出した、「グランド・フィナーレ」。
フェスティバル/トーキョーで上演された、松井周演出による「火の顔」。
以前紹介したサンプルの「伝記」にも、兄妹間の近親相姦が描かれていた。
「全てのコミュニケーションは戦争のはじまり、
あるいは戦争そのものだ」ということは、
よく妻と話していることだが、
近親相姦において「家族」という、
コミュニケーションの最小単位に起こっているのは、
「内戦」とでも呼ぶべき状況ではないか。
事態の陰惨さ、深刻さと反比例するように、
表面上は静かで、何事もないように見える。
起きているはずの暴力は、隠されていて目に見えない。
現代の演劇が近親相姦に関心を持つのは、
この「コミュニケーションの内戦」とでも呼ぶべき状況を、
作り手が、とても身近でリアルなものに感じているからなのかもしれない。
先日観た、チェルフィッチュ主宰の岡田利規演出による「タトゥー」も、
近親相姦(あるいは性的虐待)をテーマとした作品だ。
パン屋の主人は、長女と禁忌の関係を結んでいる。
母も、妹も、家族の誰もがそのことを知っている。
でも、家族全員がいる場で、そのことが明らかにされ、
話しあわれることはない。
ここでも「内戦」が起こっている。
状況に対する不安や違和感、異議申し立ては、
たとえば母親が、ずーっと衣服のどこかをかきむしり続けている、
といった具合に、直接的でない形で表現される。
「タトゥー」は、この「内戦」への介入の物語と読むこともできる。
長女がクラブで出会った花屋のパウルは、長女を救おうとする。
結婚し、一緒に家を、街を出ようと誘う。
内戦に介入する。
しかし、介入の結果、常に事態が好転するとは限らない。
家を出たものの、二人の暮らしはなかなか立ちゆかない。
どことなくイライラしたやり取りが続く。
長女の代わりに父親の標的になるであろう妹が、
彼らの家に身を隠したいと懇願しても、
二人も養えない、とパウルは断る。
そのうち父親が居場所を突き止め、長女を取り返しにやってくる。
銃を手に入れたパウルはしかし、自分の手を汚すのが嫌だという理由で、
長女に銃を渡す。
銃を手渡された長女は、なぜか父親でなくパウルに銃口を向ける。
撃たれるまさに直前、パウルは観客席に顔を向けて、顔をしかめてみせる。
「えっ、オレなの?」みたいな顔だ。
「お前を救ったオレが、なんで撃たれなくちゃいけないの?」みたいな。
介入の勇気と愛が、欺瞞と傲慢に変わる瞬間、この芝居は終わる。
もちろん、この状況を、
「中東とアメリカ」で読み解こうとするのは「ベタ」すぎるにしても、
今、世界中、日本で、自分の家で起こっていることは、
「内戦」なんじゃないかと感じている人は、
けっこう多いのではないだろうか。
5月31日(日)まで、初台にて上演中。
http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000066_play.html
紹介演劇データ
- タイトル:「タトゥー」
- 作:デーアー・ローアー(ドイツ)
- 翻訳:三輪玲子
- 演出:岡田利規
- 公演日:2009年5月
- 劇場:新国立劇場 小ホール(初台)





