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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2009年1月07日

『日本文化における時間と空間』加藤周一

筆者:おっちゃん更地になった2009年。

暮れになると、
その年に亡くなった人の回顧が、マスコミで取り上げられる。
そのニュースを見るたびに、
「死」が近づいてきているように感じる。

ちょっと前までは、
遠かった人が、遠いままこの世を去って行った。
最近は、縁を感じる人の名前が載るようになった。

こちらの一方的な縁ですが、
その記念に
今年から、正月に一番思い出深い人の本を読むことにした。
筑紫哲也さんはTVでなじんでいたが、格別の思い出はない。
ドキュメンタリー映画「水俣」の土本典昭監督は、忘れられない。
けれど、著作の記憶は薄い。
やっぱり、加藤周一さんか。
高校生の頃、すでに「知の巨人」と呼ばれていた。
本を読む前から、あこがれていた。
加藤周一さんの『日本文化における時間と空間』を読む。

日本文化には、三つの異なる時間がある、という。
ひとつは、『古事記』が示す時間。
『古事記』は、国土と王朝の起源を語るが、時間を語らない。
    ― 古代の日本文化が意識した歴史的時間は、 
      始めなく終わりない時間直線である。
もうふたつは、
    ― 始めなく終わりない円周上の循環=日常的時間、
      始めがあり終りがある人生の普遍的時間である。
そして、この三つの時間のどれもが、
「今」を生きることの強調へ向かうという。

「今」の強調は、身体表現にも現れる。
    ― 能役者の動きの極限としての静止は、
      歌舞伎にも引き継がれて、「みえ」となる。
絵画は、絵巻物を例に
    ― 絵巻物の時間は、等価的に並ぶ現在の連鎖である。

このような、著しい「今」の強調が、
「全体」よりも「部分」への強い関心につながる。
社会においては、
最小の「部分」とは、「ムラ」であり、「家」だ、という。

水田、すなわり、水の利用を通して築いた「ムラ」、
それを構成する「家」を解体し、
「個人」だけが浮き上がる社会を、戦後、走ってきた。

「ムラ」を引き継いだ「会社」も、
終身雇用、年功序列を排し、
パート、派遣社員をベースにした社会となった。

第二大戦の敗戦によって、国土は更地になった。
そして、2009年、社会構造までも更地になった。
けれど、未来が見えないと嘆くなかれ、青年たちよ。
昔から、日本人は「全体」を設計するのではなく、
「部分」を生き、「今」を生きてきた。
「建て増し」も得意としてきた。

「今」を生きろ。
今こそ、日本文化の真価を示す時だ、と
加藤周一さんは、励ましてくれているのだ。
きっと。

 

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日がな一日、本に囲まれて生活をするおっちゃん。おっちゃんが読んだ本や、見た映画など、ジャンルを問わず紹介します。
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