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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2008年12月26日

『なんとなく、クリスタル』田中康夫

筆者:いぬ遠景と近景。

◎人口問題審議会「出生力動向に関する特別委員会報告」
  (1) 出生率の低下は、今後もしばらく続くが、
    八十年代は上昇基調に転ずる可能性もある。

(2) しかし出生率が上昇しても、人口を現状維持するまでには回復せず、
    将来人口の漸減化傾向は免れない。
  (中略)
  ◎「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年版厚生白書)」
  六十五歳以上の老年人口比率
  一九七九年 八・九%
  一九九〇年 一一%(予想)
  二〇〇〇年 一四・三%(予想)
  (中略)
  厚生年金の保険料
  一九七九年 月収の一〇・六%
  二〇〇〇年 月収の二〇%程度(予想)
  二〇二〇年 月収の三五%程度(予想)

本編を読み終え、さらに、長大で膨大な注釈を読み終えた後で、
僕の目に入ってきたのは、この資料だった。
数字の羅列の意味を考えたとき、
僕にとってのこの小説の意味は、大きく変わった。

一読すれば『なんとなく、クリスタル』は、風俗小説である。
大学に通いながらファッションモデルとしても活動する主人公・由利の
「クリスタル」なライフスタイルが描かれる。

  千駄木まで一枚の千代紙を買いに行く。その気分を大切にしたかった。
  クレージュの夏物セーターをクレージュのマークのついた紙袋に入れてもらう、
  そのスノッバリーを大切にしたかった。
  甘いケーキにならエスプレッソもいいけれど、たまにはフランス流に
  白ワインで食べてみる。そのきどりを大切にしたかった。
  (中略)
  こうしたバランス感覚をもったうえで、私は生活を楽しんでみたかった。
  同じものを買うのなら、気分がいい方を選んでみたかった。
  (中略)
  無意識のうちに、なんとなく気分のいい方を選んでみると、
  今の私の生活になっていた。

服も、食べ物も、恋愛も、「気分」で選択すること。
選択した結果の「消費」が、その人の人となりを表すこと。
今は当たり前になった消費社会の作法が、
80年代当時は、新鮮だったのだと思う。

また別の見方をすれば、『なんとなく、クリスタル』はコラム集でもある。
朝起きると「FEN」をつけ、「ウィリー・ネルソン」を聴く。
「リバティ・プリント」のファブリックでまとめた室内から、東京の街を眺める。
登場する固有名詞のいちいちに、詳細な註が付けられている。
たとえば、こんな具合に。

  FEN  Far East Networkの略。英語がわからない人には、
     よいバックグラウンド・ミュージックになります。
     英語のジョークが理解できる人は、より一層楽しめます。

「時代のときめきが描け」(初版本オビより)ているといわれたのは、
当時の状況をシニカルかつ的確に伝える、詳細な註によるものだろう。

しかし、この小説が書かれてから30年近くが経つ今、
『なんとなく、クリスタル』を読む意味は、
なによりも巻末の資料にあると感じる。

遠くの風景と近くの風景が、実は地続きでつながっているように、
「少子高齢化」、つまり社会構造の変化という「遠景」と、
「クリスタル」なライフスタイルという「近景」とを、
同時に眺めたときに見えてくるもの。
それこそが、田中康夫が描きたかったものに違いない。

  <三十代になった時、シャネルのスーツが似合う
  雰囲気をもった女性になりたい>
  私は、明治通りとの交差点を通り過ぎて、
  上り坂となった表参道を走り続ける。

1980年に大学生だった由利。
今、50の声を聞く頃だろう。
どんなライフスタイルを送っているのか。
どんな「近景」が見えているだろうか。
「遠景」は、30年前と比べると、ずいぶん変わったようにも、
あまり変わっていないようにも思う。

 

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