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おっちゃんの「感想・鑑賞録」

2008年10月03日

『もう一回蹴りたかった』望月重良

筆者:おっちゃん「デザインから、Jへ」 望月さんのキラートーク。

昨年2007年の暮れ、望月さんが事務所に訪ねてきてくれた。
サッカーの元日本代表。
うちの事務所は、私も含めてサッカーファンが多い。
興奮状態でお迎えした。

話を伺うと、相模原で、サッカーチームを立ち上げる。
Jリーグを目指す。
なおも驚くことに、
神奈川県3部リーグから始める、と言う。

しかも、そのチームで、雇われ監督をやるのではない、
オーナーとして経営するという。

さらに、
「ボクは、Jリーグを目指す。
だから、デザインは、最初からJレベルで行きたいんです。」
ぜひ、手伝ってください、と言う用件だった。
「デザインから、Jになる。」
とろけまんなァ、この口説き。
デザイナーは驚喜した。
デザイナーは誰だって、
こんな機会を夢に見ながら、仕事をしているのだ。

望月さん、この口説きのセンスなら、
なんでも、やれまっせ、と感嘆した。

サッカーのエリート街道をまっしぐらに走ってきた望月さん、
どこでこんな交渉術を磨いたのか、と疑問に思っていたが、
その答えは、この著書「もう一回蹴りたかった」に隠されていた。

エリートの望月さんに、挫折は、突如、2003年に襲ってきた。
この年、望月重良さんは、ヴィッセル神戸からジェフ市原に移籍した。
イビチャ・オシムが監督になり、
立て直しにかかったチームの背番号11を任された望月さん。
攻撃の中心として期待されていた。
しかし、開幕1週間前に左膝内側靭帯を痛めてリタイア。
出鼻をくじかれた望月さんは、
いったんベガルタ仙台へレンタル移籍する。

2004年にジェフに復帰するが、
本当の不幸は、ここから始まる。
左足付け根に激痛が走り、股関節の痛みが治まらないまま、
出場機会から遠ざかり、戦力外通告になる。

そして、この痛みは
「特発性大腿骨壊死症」と言う難病と知らされる。
医師は、いますぐ、サッカーを止めろ、と宣告する。

しかし、「もう一回蹴りたい」と言う思いで、治療に励む。
命を削るような辛さのリハビリにも耐え、
蓄えたお金もはたき、
やっと、横浜FCに復帰するまで回復する。
ただ、テスト生のような内容。
「4カ月契約、年俸0円、背番号は33番」
それでも、
「無理だと思っていたから、嬉しくて契約書にサインしただけで、
年俸の金額なんか目に入らなかった。」

2005年11月9日、2年ぶりにピッチに立つ。
徳島ヴォルティス戦との後半44分。
ロスタイムを入れて、わずか5分の出場だった。
「あの試合は俺にとって、1試合分の試合だった。
プロになっての初試合、日本代表での初試合、
それと同じくらい価値のある試合だった。」と振り返る。
その1週間後、後半30分から出場するが、
それが、望月さんの現役の最後になった。
闘病に耐えた成果は、わずか20分のピッチだった。

2007年1月31日、
日本サッカー協会に引退届を提出して、正式に引退した。

サッカー選手の書いた本だが、
サッカーの戦術本でも、成功話でもない。
鼻っ柱の強かった男が、
這いずり回るように生きた話。

その続編を、近くで見られるなんて、
僕らの仕事は、なんて幸せなんだろう。