「呼吸機械」維新派
名も無き者たちが積み重ねる時間。
関西をベースに30年もの間活動を続ける劇団・維新派。
4年ぶりの野外公演。
彼らは琵琶湖の湖岸に大きな舞台を作った。
日が暮れてから、会場に着く。
木組みの観客席を後部から登っていくと、舞台面が見える。
プロセニアムで切り取られた湖岸。その奥は、ただ漆黒の水面。
座って開演を待つ。明転し、やがて白塗りの役者達があらわれる。
「ダン、ダ、ダン、ダダン」。
変拍子の音楽に合わせ、足を踏みならしながらの群舞。
舞台袖から列をなして行進してくる役者たち。
その隊列は規則正しく、力強い。
第二次大戦前後の東欧・ポーランド。
戦時下の混乱の下、たくましく生きる戦災孤児たち。
やがて成長し、戦後の復興の中、それぞれの道を歩いていく。
しかしストーリーよりも強く印象に残ったのは、
舞台を駆け抜けていく、名前も役もない、白塗りのいくつもの身体だった。
歴史はいつだって無名の人間によって作られる。
いや、ちがう。
時の宰相や軍人、「名を残した者たち」が作った歴史とは別に、
あるいはその裏に、
「名も無き者たち」が作る歴史がある。
舞台面いっぱいに広がって踊る、
白塗りの、帽子を目深にかぶり、個性を消した人々。
彼らの身体はそのまま、
「名も無き者たちが積み重ねる時間」をあらわしている。
歴史の波に翻弄される市井の人々。
そうした一面的なものの見方から僕を解き放つ。
時間を積み重ねたのは、歴史を作ったのは、ほんとうは彼らだ。
足を踏みならし、手を振り上げ、そう精一杯主張している。
孤児たちの中に、兄弟がいた。
終戦後、一人は自由主義者になり、一人は共産主義者となる。
いくつかの偶然が重なり、
弟が兄を誤って撃ち殺してしまうことで、
物語は一応の終わりを迎える。
しかしその悲劇すらも、「名も無き者たち」のうねりの中に飲み込まれていく。
幕開けとまったく同じ振り付け。行進のような舞踏で、芝居は幕を閉じる。
違うのは、すべてを洗い流すように舞台面を流れる、大量の水。
足を踏みならす。そのたびに水しぶきが上がる。
役者の身体はずぶぬれになる。
舞台も役者も、漆黒の琵琶湖に溶けていく。
終わったとき、舞台の上にはなにもない。誰も残っていない。
カーテンコール、袖から挨拶に出てきた役者達を目にして、僕は理解した。
「名も無き者たちが積み重ねる時間」は、もう一つあったのだと。
何か月か前から集まって練習を繰り返し、
この作品を作り上げたという維新派の役者たち。
専業はほとんどいない。
あるいはバイトを辞め、あるいは学校を休み、
時間を工面して参加しているという。
彼らもまた、「名も無き者たち」だ。
維新派の芝居に「主役」はいない。「看板役者」もいない。
劇団の歴史に名を残す人は、ほとんどいない。
それでもそれぞれが自分の時間を少しずつ持ち寄り、積み重ねていく。
観客は「名も無き者たちが積み重ねる時間」を観に、
今日も、明日も、やってくる。
紹介演劇データ
- タイトル:『呼吸機械』
- 作・演出:松本雄吉
- 劇団:維新派
- 公演日:2008年10月
- 劇場:さいかち浜野外特設劇場(滋賀県)





