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おっちゃんの「日々こもごも」

2011年10月01日

21.5キロの暮らし

東日本大震災で、東京では多くの『帰宅難民』が生まれた。
知り合いも、自宅マンションが液状化の被害にあった。
ひとりひとりには、大変、つらいことだ。

けれど、福島の人と話していると、
とても、東京の人間の体験は語れない。
南相馬の人と食事をしながら話をしていて、痛切に感じた。

そのひとは、福島第一原発に勤めていた。
津波が襲ったときも、勤務中だった。
自宅は、原発から20キロちょっと。
小学3年生の一人娘がいる。
気がかりだったが、帰宅の指示はなかなかでなかった。

やっと、下りたときは、
すでに、原発内で車の渋滞が起こっていた。
門を出るのに、1時間以上かかった。
けれど、そのおかげで命拾いすることになる。
発電所を出ると、家までずっと海岸線を走る。
スムーズに出ていれば、海岸に押し寄せた津波にさらわれていたはずだ。

無事に家にたどり着いたら、夕闇が深くなっていた。
小学校から戻っているはずの一人娘はいない。
無事が確認できた。
津波が来る前に、
おばあちゃんが、実家に連れて行っていた。
実家は、19.5キロ。

真っ暗になった道を走って、娘を迎えに行った。
道の途中から、津波が引いた後、
ドロドロのぬかるみが残っていた。
車を捨てた。
場所によっては、足首の上まで、水に浸かった。

やっと、娘の顔を見たときは、膝を抜けるようになった。
けれど、休む間もなく、
娘を背負い、ズルズルと足を取られそうな道を戻る。

よく、がんばれましたね、というと、
「もう、無我夢中で、じつは、断片的な記憶しかないんです」
実は、こんな話は序の口で、ここで書けない話が多い。

こんな思いを胸に秘めながら、
この方は、「21.5キロ」の家で暮らしている。
休職手当を受けながら。
元の職場には、たぶん、もう二度と戻れないだろうに。