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おっちゃんの「日々こもごも」

2011年9月30日

飯舘村のおばあちゃん

福島へ行ってきました。
初日は、南相馬の海岸沿い、津波の跡を見てきました。
土台だけが残る家。
土台の上に小さく木が組まれて、仏壇ができていました。
多分亡くなられた方の遺影も飾っていました。
思わず手を合わせました。
20キロの限界ラインにも立ってきました。

夜は、地元の少年サッカーのスクールのコーチや父兄と食事。
翌日は、放射能汚染の激しい飯館村、川俣町を抜けて、福島市へ。
南相馬から飯舘村に入る直前の峠で、
国道154号線の工事。
中年から壮年の方が、交通誘導をしたり、
ブルドーザーを動かしている。
全員、マスクなんか、していない。

飯館村に入ると、昼間なのに、シンと静まり返って動くものはない。
なだらかな山並みに、秋の日差しが美しい。
でも、一瞬、ガラス窓の向こうに、洗濯物を干していたり、
ガラスドアの内側で、人が動く気配をみた。
やはり、道をゆく人はいない、と思っていると、
家の前で、腰に手をやったおばあさんが出現。
家の横に回ると、
そこには、二人のおじいさんが立っていた。
ごく自然な会話を交わしている様子。
そこだけが、ほのぼのとした日常感。
三人には、
全く変わらない日常が、今も生きているのか。

福島に入って聞いた話では、
「両親と兄家族は、山形に、今も避難中。
ただ、兄だけは、福島に単身で戻って仕事をしている」
ご両親も福島生まれ、福島育ちだが、
もう、福島には帰ってこない。
お兄さんも、新築した家も人に貸すことが決まったから、
単身暮らしをやめて、福島を出るかもしれない。
その人も、最後には、
「ボクも、わからない。
出られる人は、出た方がいいよ」と、言った。

分かっていても、出るに出られない家族もいる。
今日30日、南相馬市の一部は緊急時避難準備区域が解除になるけれど、
せめて、せめて、幼稚園や小学校、遊び場、
それに、その通園、通学路の除染を進めてほしい。