鶴岡の葬儀。
藤沢周平の生まれた地、
海坂藩の舞台・鶴岡には、昔から行きたいと思っていた。
やっと、先週、金・土と1泊2日で行ってきた。
藤沢周平のゆかりの場所を訪ねる旅ではなく、
スタッフのお父さんが急逝し、その葬儀に参列する旅だった。
告別式場で受付に並んでいると、
遠路駆けつけてくれたと、喪主の方が、挨拶に出てきてくれた。
小声で、
「生花をいただいて、申し訳ないのですが、
隅の方に置かせていただいています。」との説明だった。
迷惑だったのだろうか、と思っていると、
さらに、恐縮しながら、この土地の風習だという。
祭壇の中央には、親族など近親者の生花を並べるらしい。
祭壇を見ると、その通りになっていた。
弔電を読み上げるのも、その考えが貫かれていた。
故人、喪主と親しかった人の弔電は弔文も紹介されるが、
地元の代議士、参議員、市長、市議会議員らの弔電は、
最後に、名前を読み上げるだけ。
なんという、清々しさ、気持ちよさ。
葬儀は、ゆかりのあった人のものだ、と改めて教えられた。
告別式が始まると、
親しい人、孫代表が立って弔辞を読む。
これも、教会ではふつうだが、仏式の葬儀では初めてだった。
お孫さんは、うら若き女性。
彼女の両親は、二人とも働いていた。
だから、彼女は幼い時、おばあちゃん、
おじいちゃんに面倒を見てもらうことが多かった。
「学校から帰ってくると、
おじいちゃんは、生協のパンを半額で買い占めて、
テーブルにいっぱいのせて待っていてくれました。」と思い出を語った。
きっと、孫娘が成長するたびに、
おじいちゃんは、接し方に戸惑いだしたのだろう。
「半額のパン」に、おじいちゃんの迷いと愛情を感じて、
思わず涙ぐんでしまった。
司会者は、予定の弔辞を終えて
「本日、弔辞をご用意されている方は、いらっしゃいますか。」と呼び掛けた。
しばらくして、
ひとりの老人が杖をついて立ち上がった。
型どおりの呼びかけたつもりだった司会者は、一瞬、戸惑いの息を吐いた。
けれど、祭壇で読まれた弔辞は、
若かりし頃の個人が偲ばれて、いい話だった。
老人は、故人の小学校時代のクラスメート。
村の活性化のために、温泉掘りの事業に
いっしょに奔走したことなど、昔話を披露された。
東京では、教会以外では、このような弔辞を聞くことはない。
だから、故人とゆかりがなければ、
故人の人となりに触れることなく帰ることが多い。
でも、教会や、この鶴岡の葬儀のように、
「そうか、そんな喜びがあったのか、
そんな苦労があったのか。」と思いながらの帰り道は、悪くない。
知らない故人を偲んで帰る。
大層に言えば、「人間としての連帯感」を感じるようで、しみじみする。
これも、歳をとったせいでしょうか。



