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おっちゃんの「日々こもごも」

2009年6月23日

「1 liter for 10 liter」の罪深さ

筆者:おっちゃん おっちゃんなんか、ホンマ、保守的な人間やから、
スポーツジムができた時、
「なんで、走るのに、お金がいるねん、道走ってたら、タダやないか」と思った。
(いまは、重宝してます)

ケータイが世に出たときも、「公衆電話があるやないか」と嘯いた。
(いまは、家の鍵を忘れるより、不安になります)
ペットボトルの水が売り出されたときも、仰天した。
「水を買う、この罰あたりが!」と叫びそうになった。
(いまは、冷蔵庫に欠かせません)

血がサラサラするからと、寝る前、目が覚めた時、必ず一杯の水を飲む。
以前は、ボルヴィックだった。
あの「1 liter for 10 liter」の水ですね。
(いまは、ちゃいます。冷蔵庫の中はサントリーだけです)

そうか、ぼくらが飲むたびに、
アフリカの子どもたちが、水を飲めるようになるのか、
と、ちょっといい気にさせる水ですね。
でも、ふと立ち止まると、とても罪深い気になる。

水は命の元。
じゃあ、1 literのボルヴィックを飲まず、
その金を寄付したら、何リットルの水が生まれるのだろう。
10キロリットル以上になるのだろうか。
ボクらが、うまい、まずい、なんて言っているけれど、
アフリカでは、「命の水」を求めている。

「1 liter for 10 liter」って、ほんとうにいいキャンペーンなんですかね。
経済的に豊かな国民の傲慢さが露骨なキャンペーンじゃないか。
いや、「10 liter」が届くからいいのか。

でも、ボルヴィックさん、
年に3日間ぐらいやりません?
今日は、ボルヴィックを飲んだ気になって、
「1 literのお金で for 100,000 liter」