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おっちゃんの「日々こもごも」

2008年12月29日

真夜中の餅つき。

筆者:おっちゃん 夕方、路地にさばを焼く匂いが漂い出すと、
子どもの頃のわたしは、ワクワクした。

今年も、向かいの土建屋さんが、
年の瀬だけのひと稼ぎに、
近所の家々を回って、餅の「賃つき」を始める。
いつものように、郷里の徳島から農家のおじさんを呼び寄せたのだ。

「賃つき」と言っても、いまでは、分からない人がほとんどだろう。
もっと昔は、わが家でも、本家に親戚中が集まって、にぎやかに餅をついた。
しかし、小学校に上がるころには、それぞれの家でつくようになり、
わが家のように男手は、父だけの家では餅つきを頼むようになった。
賃つき屋さんは、リヤカーに、
臼や杵、蒸籠、竈がわりのドラム缶など、餅つき道具一式を乗せ、
家まで来て、餅をついてくれるのだ。
このおじさんたちの夕餉は、毎晩、焼き魚のさばだった。
きっと、安く、手間もかからず、喜ばれる「おかず」だったのだろう。

わが家の賃つきの日は、29日から30日に日が跨いだころと決まっていた。
29日は「9=苦」をつくと言って、縁起が悪い。
29日の仕事終いに、30日になるのを待って、
餅をついてもらうのが、わが家の習慣になっていた。

こどもも、この夜だけは、起きていても叱られなかった。
夜11時を回ると、じっとしていられなくなった。
母は、もち米を洗い、笊にあけて、
玄関先の座敷には、片栗粉を広げた大きな板を据える。
まだ、中学生の姉も、母の割烹着に袖を通す。
すでに、家中、準備万端だ。

ジリジリ、夜が軋みだしそうだった。
耳をすませる。
凍った路面をこするタイヤの微かな音。
ギリギヤアと軋ませる音が混ざる。
リヤカーだ。

角を回った。
賃つきのおじさんたちが帰ってきた。
わたしは、家を飛び出す、
鉢巻をしたおじさんが、「おうおう。ボン、あぶないで」と言って、
狭いわが家の庭に、道具を並べる。
お米を蒸す竈替わりのドラム缶には、赤々と火が燃え立っていた。
はぜる音がして、急に、庭がにぎやかになった。

餅つきが始まる。
「よいしょ」
「こらしょ」
「あらよ」
「ほら、もひとつな」
ゆっくりした掛声が、いつしか、間を縮めていく。
息をつめた
「ハッ」
「ホッ」が続いて、
最後に、力強く「よいしょっ!」で、
つきあがった餅が、夜空に高々と掲げられる。
まっ白い湯気の羽をつけたように、餅が浮かび上がる。
その神々しさ。
「赤ちゃんが生まれた時みたいやなあ。」と、
母が、いつか、つぶやいたことがある。

急いで、
おじさんさんの手で鏡餅が丸めらる。
神棚に上げる小餅も、きれいに整えられる。
次だ。
次につきあがった餅で、
母や姉は、丸餅づくりに格闘する。
わたしは、母と3人の姉の狭い隙間にからだを割り込ませ、
一個だけあんこを詰めて、口にほほばる。
ひとつだけは見逃してくれるのも、習わしになっていた。

父は、庭で、餅つきを眺めながら親方と話している。
「今年は、どうでした。」
「まあまあですかいな。」と答えることもあれば、
「いやあ、しんどい年でしたな」と言う時もある。
でも、いつも笑顔だった。
「しかたおまへんな」と親方も笑顔だった。
「そうでんがな、元気なだけでも。」
いつも同じような会話、いつも変わらぬ笑顔だった。

餅つき。それは、きっと新年への祈り時間だった。

では、みなさん、気持ちひとつで、よいお年を!