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おっちゃんの「日々こもごも」

2008年10月06日

(寄稿)2度目の自動車教習所

40代も後半のええおっちゃんが教習所に行きはじめて半年がたつ。
平日は仕事で帰りが遅くなるため、授業が受けられるのは土日だけ、
だから遅々として進まない。

自動車教習所は今ではドライビングスクールと呼ばれ、
むかし通った頃(18歳のとき一度免許を取得している)と比べると
様変わりしている。たとえば授業の進捗状況はすべてコンピュータで
管理されて、実車の予約をするにも、配車(教官と予約車を結びつける)
するにも、ロビーに5台設置された端末をたたかないといけない。
これがややこしいったらありゃしない。

「生徒の9割が10?20代の若者ですから、インターフェースは
最先端のものを」と業者に言われるままに納入したのだろうが、
ぼくはパソコンを毎日触っているが、はっきり言って使いにくい。
50代や60代の受講生だっているはずだし。
それより腹が立つのは、こっちが端末と格闘しているとき、
フロントには手持ち無沙汰にしているスタッフが4、5人はいて、
「あーあ、またヘボこいてら」てな感じて冷ややかな視線を送って
くるのだ。おまえらだれのおかげで飯くっとんねん。

とはいえ、年をくってから教習所に行くというのはそれほどわるい
ことばかりでもない。授業に出ると、まわりはみな二十歳ぐらいの
女の子(この際、男は目に入らない)で、彼女たちと席を並べて学ぶ
というのは新鮮な体験にちがいない。髪の毛がグルグル巻きの子、
バックパッカーみたいに汚い子、太りすぎの子、やせっぽちで目だけ
パッチリの子、いろいろな若い子がいて、地方局の深夜番組のスタジ
オにいる気分になる。

そうしているうちにある日ふしぎなことに気づいた。
なんていうか教室が大人しいのだ。居眠り、携帯の着信音、遅刻、
これすべて違反すると教室から即退場という厳しいルールがあるのだが、
そういうこととは別に、授業中も休み時間もうねりのない海のように
学校が静かなのだ。

海には凪というのがあるが、あれは風がぴたりと止んで次の風が吹く
までのしばしの平穏をさすが、この教習所に漂う静かさは堤防の内側
に入り込み外海への出口を見失った海水だ。

彼女たちは皆、教官の話しにうなずくわけでも、誰かとしゃべるわけ
でもなく、ただ言われるままに教科書を広げてマーカーで線を引いている。
僕が学生の頃はマーカーがまだ普及していなかったから新鮮に見えるの
かもしれないが、それにしてもキュキュッと線を引く音しか聞こえない
のは不気味である。

教官の話を聞いている態度は、決してまじめとはいえないが、
授業をバカにしているようなところは微塵もない。ちゃんと聞き、
ちゃんとマーカーを引き、ちゃんとテストに出るアンチョコをもらって
帰る。ただそれだけである。

彼女たちに共通しているのは、できるだけパワーを使わず、授業を終わ
らせることだけに集中しているという印象だ。ある意味でこれは時間消費
のスタイルとして無駄がなく、洗練されているといえるのかもしれない。

仕事場や街にいる若者からはこんな印象を感じたことはなかった。実際、
教習所で話をした何人かの若者はみんな礼儀正しく好感がもて、それぞれ
勉強や仕事をがんばってるふうに見えた。ところがひとつの集団として
集まると、そこから放たれる印象は、限りなく穏やかでやさしく、
炭酸の抜けてしまったサイダーのように感じられる。

ここには社会への不満を今はまだなにも考えなくてもいい世代の、
静かな日だまりがあるのかもしれない。それは僕たちがすごした青春とは、
かなり景色が違っていて、どこまでも透明で美しい。
そしてそれ自体、今のぼくにとって決して不快なものではない。

寄稿者:「きそら」さん